* 災い転じて…副産物
切り傷擦り傷、打撲に捻挫。
はたまた骨折・寝違え・深爪まで。
ひょっとしたらぎっくり腰でもいけるかもしれない。
およそ3〜4倍。
調子のいい時は5〜6倍。
そんな常識外の速さで俺の傷は治っていく。
ローレライの話によると、俺は血中のみならず細胞の個々に至るまでが、通常の人の10倍以上の第七音素の濃度をもっているらしい。
主にそれが理由で傷が治りやすいと言っていた。
一度指をザックリ切ってしまった時に、どんな風に治るものかと一日中傷口を直視したことがあるが…アレはとても誰かに言えるものじゃなかった。
それを見たお陰で、三日くらい肉類が食べれなくなって、芋虫系統の虫に近づけなかった。
グロイ。
人体の神秘じゃなくてひたすらにグロイ。
ティアやナタリアの譜術を受けているときは、患部や全身が一度ほぁっと温まって淡い光に包まれれば、次の瞬間には殆んど傷跡も見えなくなっていたのだ。
そんなことを思い出しながら、俺は魔物が放った無数の岩のつぶてによって負った、大量の擦り傷を水で洗う。
「なぁローレライ。」
『なんだ。』
傷口は冷たい水で引き攣るような痛みを生むが、それでも黙々と汚れを落とす。
「俺もさ、こう…パパッとファーストエイドとか使えるようにならないかな?」
打ち身してしまっている場所にうっかり触れてしまい、走った鈍痛に顔を引き攣らせて水を跳ねさせる。
ローレライは仰々しく溜息を吐いて見せた。
『我としては、お前が使えないという事実が不思議でならないのだが?』
「うっ・・・だって、そういう勉強とか全然してなかったから・・・
それ以上に勉強することがたくさんあったんだよ。」
あの時は音素を扱う基礎すら知らなかったんだ。
戦闘中に剣技に乗せて使うことは経験的に上手くできてたけど、落ち着いた場所で大人しくフォンスロット共鳴させたりして使う譜術はまったくできなかった。
じっくり教えてもらう暇もなかったし…
「お前は知らないのか?」
『ふむ、微妙だな。我自身が、そうやって傷を負うということに無縁だからな。
その癒しの術としての効果を生み出すためには、術者の体内の第七音素と対象である生命体の構成音素を共振させることから始まる。
一瞬で傷を癒すというには、癒しの力と共に別の要素も必要となってくるな。』
「へ、へぇ」
思いの他まともな答えが返ってきて戸惑ってしまった。
『その要素に関しては現在知られているわけではないから説明はせぬが、原理としてはお前の傷が治ることと大して変わりはせん。
お前は高濃度の音素のみで身体を治しているから暇がかかっているのだろう。』
「力でごり押しってことか?」
『そうなるな。』
力でごり押しって言うのは昔からよくやっていた戦法だけど…無意識下の音素の扱いまでそうくると、気質とかどうとかいう問題じゃなくなってきた。
とりあえず露出したところの汚れは洗い落とせたので、濡れた場所をタオルで拭う。
「…その、譜術をどうやって使うかは?」
『我はその原理と構成を知っているだけだ。
やろうと思えばできないでもないが、それを教えることはできないだろう。』
それは、精神体と生身の人間という差があるからだろうか?
俺は脱ぎ散らかしていた服を身に付けながら小さく唸る。
服を掛けていた木の、クズや木の葉を払いながら腕を通す。
「いてて…うーん、第七音譜術師に教わればできることなのかなー。」
服が肌を擦って生まれる痛みに、俺は軽く歯を噛み締める。
こうやって考えると、やっぱ俺って精神的に未熟なのかもしれない。
ガイやジェイドなんかだったら、コレぐらいの傷では顔色一つ変えていなかった。
何にしたって、身分を隠している人間に教えてくれるような人はいないだろう。
確か、今世界では音素使用に対して厳しく取締りが行われているはずだ。
特に第七音素に関しては、プラネットストームが稼動している時でも少なかったのに、それを停止させた今、その絶対量が極端に減っているからその規制は余計に厳しいらしい。
絶対量が減ったから、その少ない音素量を扱えるのも上級の譜術師でないと難しいといわれている。
そこまで考えてはたと気づく。
「…じゃあ、譜術師のひよこの俺じゃ扱えないのか?」
『馬鹿か。おまえ自身が第七音素の塊だというのに、なぜ空気中の絶対量に左右される?』
間髪をいれずにローレライが嘲笑った。
「あ、そっか。
…て、お前、人の頭ん中勝手に覗くなよ。」
『別に減るものでもなしに。』
「俺のプライバシーが激しく磨り減らされてるって。」
『…はっ。』
短い笑いによって一蹴される。
コイツがこういう奴ってわかっているけど、腹立つものは腹立つな!
顔を覆おうとしていた布をきつく握り締めて宙を仰ぎ見る。
「お前なぁ―」
『要は、治療師の力を具現化すればいいのだろう?』
吐こうとした罵声は要約された質問に遮られる。
『お前の意思で、任意の傷の癒しを加速させる。
それでいいのか?』
「で、できるのか?」
『不可能ではない。
すぐに終わる…手を借りるぞ。』
俺が了承するより先に、俺の両手が勝手に前へ突き出される。
この感覚は、いつぞやアッシュに操られた感覚と似ていた。
…うーん、こんな事まで懐かしむっていうのは流石に女々しいな。
俺の意思とは関係なく、体内の奥から流れてくる音素の流れが掌のフォンスロットから流れ出る。
体温よりも高い温度を持つそれは、目には見えないまま俺の足元に溜まり、やがて譜陣として淡い光を帯びて浮かび上がる。
譜陣に刻まれているのは古代イスパニア言語だ。
もちろん俺はわからない。
「…ティアの、譜歌みたいだな。」
昼間なのに照らされていることが分かる温かさ。
『ユリアの末裔と同等に見られるとは、光栄だな。』
独り言に、ローレライが滅多に見せることのない優しい声音で応えてくれた。
コイツは正直なだけなんだよな。
譜陣から放たれる穏やかな熱が全身に広がり、その心地よさに目を閉じる。
全身に行き渡った熱がするすると失われていく感覚に目を開くと、既に足元の譜陣も薄れて両手も自由になっていた。
「もう終わりか?」
『ああ。』
グローブをつけていない両手を眺めて何度か握りしめてみるが、手も体も特に変わったような感覚はない。
さっきローレライが言っていた「自分の意思」で本当に「任意の傷」の治る速度が変わるのか実践したくて溜まらずに、右腕に真っ直ぐ残っている傷に集中してみる。
変わりはない。
薄くかさぶたの状態を保っているその傷をまだ見つめる。
頭の中で治れ!治れ!と念じることを繰り返す。
…なんら変わりはない。
あれ?
『何をしているのだ?』
「あ、いや。治んないぞ傷。」
『…何を勘違いしている。
最後まで話を聞け。』
「え、えぇぇぇ?」
『見るだけでその部位に働きかけるなど、できるわけがないだろう。
もっと直接的なことだ。』
「直接って言うと、指で触るとか?」
『いや、舐めろ。』
………またぶっ飛んだ事言われた!
「舐める…のか。」
『お前たち人間はよく言っているではないか。「舐めれば治る」と。我はつくづく疑問に思っていたのだ。舐めるだけで肉体の損傷が癒える訳がないだろう。』
ローレライの声を聞きながら、舌を傷に沿って這わせてみる。
…あ、治った。
『それが真の形になったのだ。
ふむ、これで胸の内に溜まっていたわだかまりが綺麗に無くなった。
ユリアにもそうやってやればよかったのだな。』
物凄く爽やかなローレライ。
俺は馬鹿だ。
提案する内容じゃなくて、こいつに提案してみること自体が間違っているんだ。
コイツは良くも悪くも正直で純粋だ。
言葉のあやとか常識とか一から説明しなきゃ通じねぇ。
…まぁ、想像していたのとは違うとは言っても、俺の希望を叶えてくれたことには変わりないんだよな。
痛む頭を押さえて涎のついた腕を拭く。
「…ありがとうローレライ。」
斜めの方向に叶えてくれた対象に、一応礼を言っておく。
『む、なんだ。気持ち悪いな。』
コイツ相手に存在した、なけなしのポジティブな感情が一瞬でどっかに飛んでった。
「ひ、人が礼を言っているのに気持ち悪いはねぇだろうが!!」
…NEW SKILL!!
2011/10/25:再UP
個人的に気に入っている番外編です。
この設定、ベナスフ本編でも活用したかったんですが…中々…