2.ベナースフ




「…約束は守った。
ただ、俺は…お前らの望む『ルーク』ではないと先に伝えておく。」

長く伸びた髪を風に遊ばせ、碧色の瞳を隠すように目を伏せて彼はそう言った。
子供の存在の喪失をまじまじと見せ付けられ、そこにいた者のほとんどが言葉を呑んだ。

存在を食われたと昔の彼は言った。
幾ばくかの時を経てそれは間違いだったと判明するのは、子供と共にいることのできる最期の時間だった。
彼だけではない、子供に関わったすべてが、結局は捕食されるためだけに子供は生み出されたのだと悟ることになる。


『生きて帰る』 彼は子供とそう約束した。
けっして『生かされて帰る』事を望んだわけではないと彼は毒づいた。


セレニアの花は揺れ、月の光に崩壊したホドが照らされる。
そこに佇む人のことなど意に介すはずも無く、時間は進み現実は過去になる。
過去に抱いた希望や期待は現実に統合される。
結局、希望を抱いた世界は、無情なまま子供を奪う。
望もうと望むまいも…







それから1年の月日が流れた。







ここはキムラスカ・ランバルディア王国の城、謁見の間。
暖かい日差しがさんさんと降り注ぐその部屋の中央で、玉座に威厳ありしはずの王がその椅子に腰掛けたまま深く頭を沈めていた。

「…どうしても引き受けてはくれぬか…」
「申し訳ございません。」

引き絞るように放たれた言葉にぴしゃりと肯定の言葉が返る。
王に向かってはっきりと返答して見せたのは、玉座に向かって膝を付き、深紅の髪を垂らして慇懃に平伏している男。
彼の瞳は窺えないが、彼を取り巻く空気からどうやっても変えそうに無い意志の強さを感じ取り、王は掌を額に押し付けた。その口からこぼれるのは深いため息だ。

「お前とナタリアの二人でなら、私は安心して国を任せられるのだが…」
「重点を置くべきなのはナタリアでしょう。
 その位置に俺が伴う必要は無いと思います。」

男の姿勢は変わらない。

「俺は長く国を離れていました。一国民としてこの国を愛していましたが、それはこの国を統べる事とは関係ありません。」
「しかし―」
「血の繋がりという壁を崩した叔父上が何をそんなに躊躇いますか。
 俺は、国を背負えるような器の人間ではありません。
 今後己の生ある限り、まだ至らぬところの多いナタリアを支えることに尽力を尽くします。」

遮られて言い切られた言葉に王は再びため息を吐いた。
彼の決意は固く、入り込む隙が見つからない。

今日もまた…無理か…

「面を上げよ。」
「はい。」

男がスッと顔を上げると、その精悍な顔つきに反して両の碧の瞳が勝利の味をかみ締め色づいていた。

まだ年若い彼は、王が重鎮たちに自分を説得させろと強制されているのを知っている。 彼自身が有している才能や名声、それを操れる度胸と信念、それらがどれだけ渇望されているかも理解している。
知っている上で、こちらの要求を跳ね除けてみせているのだ。

…いい性格をしている。

「………娘をよろしく頼む…」
「影ながら彼女を支えましょう。」

うすく微笑みながら言い放つ男を見下ろしながら、インゴベルト国王陛下は心中で頭を抱えて見せた。
英雄を『王』の座へと薦め続ける重鎮たちの小言を思うと、頭だけではなく胃まで痛くなりそうだった。

「…下がりなさい、ルーク。」
「ハイ。」

王がげんなりとした様子を隠すことも無く退出の許可を吐き出すと、ルークは再び頭を下げてすぐに部屋を後にした。
揺れて去り行く赤い髪が憎たらしいなんて、初めて味わう感情だった。



「ルーク様」
「あんたは…セシル将軍…で、よかったか?」

城の出口へと向かう最中に女性の声が掛けられる。
ルークは振り返り最近聞いたその名を挙げた。

「はい。足をお止めして申し訳ない。
 実は先ほどガイラルディア伯爵より鳩が届きまして、ルーク様宛の手紙が同封されていました。謁見の間におられるとお聞きして、ここにお持ちしております。」

セシルは言いながら懐から布の包みを取り出し、ルークへと差し出す。

「将軍自ら申し訳ない。」
「私もこれから軍議がありますから、どうぞお気になさらずに。」

それでは、と短く礼をしてセシルは立ち去る。
その背中を見送り、ルークは布の包みを懐にいれて家へと進んだ。
妙齢の女性との鳩のやり取りという幼馴染の一面に口の端が歪むのが抑えきれない。
しばらくして耐え切れなくなったのか、ルークは小さく吹き出した。

「あら、珍しいこともあるものですわね!」

その瞬間に聞き慣れた声が頭上から降ってきた。
ルークは何本か眉間にしわを寄せ、声の方向を仰ぎ見る。

二階の渡り廊下の手すりに、ふわりと綺麗にまとめられた金髪を揺らし、青と白のシンプルなドレスを着込んだ女性が身を乗り出していた。

「…ナタリア。」
「ああ、少しお待ちくださいな。今そちらへ参りますから。」

王女らしからぬ行為を嗜めようと開いた口は彼女自身の言葉で遮られた。
これでは意味が無い。

「貴方が往来で吹き出すなんてどんな面白いことがありましたの?」

階段を駆け下りてきて開口一番にそう言った。

「たいしたことじゃない。」
「私はよほどのことがあったのかと思いましたわ。」

貴方が吹き出すなんて。
そう言ってナタリアは小さく笑う。
そんな彼女を見ながらルークは懐から布の包みを取り出し、ナタリアへ突きつける。

「ガイからの手紙だ。」
「まぁ。なんて書いてありましたの?」

興味津々な瞳の色に気づきルークはその場で包みを開き、中から細く丸められた紙を取り出した。
それを指先で広げナタリアが読みやすいように傾ける。

『そちらへ行く。』

紙面にはその一文だけしかなかった。
走り書きとしか思えない彼らしからぬ筆面にただ事ではないと推測する。

「なにか、あったのでしょうか…?」
「………」

ナタリアの表情を曇らせて呟かれた言葉にルークは沈黙しか返さなかった。
それだけしか返せなかった。





紙をそっと裏に返すと小さな文字ではっきりと書かれていた一言。



『アッシュへ』





それは懐かしい己の名だった。





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2006/07/26
 アッシュ登場。ルークとの接点はなし。
 時間軸がわかりにくかったらごめんなさい。。