3.ベナースフ




目を開くと高い瓦礫が自分を覆っていることが判った。
無数の割れ目から零れ落ちる太陽の光がすごく幻想的だ。
その隙間から覗く空の青さと流れていく雲の白さがそれに拍車を掛けている。
かといって閉鎖的な空間ではないようで、どこからか流れてきた緩やかな風が自分の全身を撫でて行ったのがわかった。
その風に含まれているのは真新しい草の匂いと冷えた水の香り。
背中にある冷たい石の感覚、目に沁みる濃淡を持つ光、深く吸えば全身まで行き届かせられる空気。

不覚にも目の奥がジンと熱くなる。
その感覚すら嬉しかった。


俺は、生きているんだ。


両の掌で瞼を覆い思わずあがりそうになった嗚咽を飲み込む。
三度目の生還。
ありえないはずの生。
空を見上げることに感動を覚えるなんて夢にも思わなかったな。
(音譜帯にいた時は見下ろしていたからだろう)
ローレライは言っていた。先に別れて地上へ戻ったアッシュは、バチカルで元気に暮らしてるって。音素が拒絶反応することも無く安定したまんまって。
それが判っただけでも十分嬉しかった。
戻ってこれたんだから、みんなに会いに行きたいな。
ずいぶん時間は経ったけど…約束は守れた。
俺が頑張ったことじゃなくてローレライのおかげなんだけど、それでも会いに行きたい。

手の甲で乱暴に目元を拭い、改めて頭上を見つめる。
こんな廃墟、知らないはずなのに…見覚えがあった。

『ここは、我が開放された場所だ。』

頭の中でローレライの声が響いた。
開放された場所…それはすべての始まりと終わりの場所だ。
つまりここは…

「エルドラント…?」

思わずつぶやいた声に違和感が走る。
…喉の調子がおかしいのだろうか?
掌で自分の首に触れると余計に違和感が強くなった。

自分に触れる感覚が、記憶と違う…?

ふと自分の掌を目の前にかざしてみる。

「……ッ!??」

ほっそりとした形。
瞬間に思考がままならなくなって全身を跳ね起こす。
見下ろした見覚えの無い服に包まれた体もまた、細くなっていた。

「な、なな!なんだこれ!?」

発した声も自分のものとは違う物だ。

気持ち悪い!
気持ち悪ぃ!!

混乱しながら全身をくまなく見る。
ほっそい癖にふかふかとやわらかそうな丸みを帯びた造型。

うん。
これじゃまるで

「お、女の体か!?」
『そうだな。』

ローレライのすんなりとした肯定。

ご丁寧に、今自分が着せられているのは白のズボンに白のワンピース。黒と濃い青で縁取られたこれまた白い二の腕から手首までのグローブ。それら全てに今まで自分が見たことも無い柄の刺繍と細工が施されている。
生地こそはしっかりとしているものの、こんな格好で旅に出る奴なんかいねぇよ!
目の前が真っ暗になる…そんな目眩を覚えながら視界に入った水場へと駆け寄る。
覗き込んだ水面には赤い髪をした見覚えのある顔の、女がいた。




そう、女。




「ッロぉおぉレッらぁあアァぁぁぁいィ!!」


衝動に任せて必要はないが天を仰いで叫ぶ。
その拍子にかなりの長さに伸びていた髪がばさりと揺れた。

『そんなに叫ばなくとも聞こえる。
 なんだ?』
「ナンダじゃヌェよ!!なんなんだこれは、一体…なんでこんなことになってんだ!?
 何で俺が、なんでだ!?くぉらァ!!?」

髪を振り乱し叫ぶ。
混乱しないほうがおかしいだろう。
俺は本気で悪くねぇ!

『なぜ、とは?』

至極不思議そうなローレライの声。
お前の思考のほうが俺には不思議だ!

「俺は男だろ!?男だったろう!?
 何でわざわざ俺は女の体になってるのかって聞いてんだよ!!
 あのままでよかったじゃねぇか!なんでわざわざ変えてんだよ!!」

ばしん。と自分の体を叩くと、その掌に伝わった想像以上のやわらかさに頬に熱が集まるのが判った。
だめだ、自分の体に触れない!

『その存在の定義はすべて『ルーク』へ返したのだろう?
 何をこだわっているのだ?』
「男の矜持ってもんがあるだろぉが!!」

ばしばしと大理石の床を叩きながら訴える。先ほどとは確実に違う涙がこみ上げてくるのが判った。
先ほどは堪えたというのに、今度は堪えられそうに無い。
酸欠で頭をくらくらさせながら涙で歪む視界を強く閉じることでごまかす。

頭の中でローレライがため息を吐いたような感覚がした。


『『ユリア』の名で男の体など許される筈が無かろう?』



さもありなん。とした声音に、声も無く突っ伏した。



勝手に名づけておいて、なんなんだこの音素集合体は!!??
人にこだわるな、なんて言っておきながら自分が一番こだわってんじゃねぇか!

理解の範疇を軽く凌駕してくれた自分の同位体に掛けるべき言葉が見つからない。
頭の中では叫びたい言葉がぐるぐるととぐろを巻いて滾っているが吐き出す気にもならなかった。


…ともかく、あの人たちと同じ世界にもう一度立たせてくれた事にだけ感謝しよう。
それ以外のことは考えるのはやめよう。

こいつは絶対に聞く耳を持つはずがない。
悟った。直感でこれはわかった。
直感じゃなくてもこんなことをされれば誰だって分かるとは思うが、そうなんだ。


いいんだ。俺が我慢すればいい。

生き返らせてくれただけで十分なんだ。




……そうでも言わなきゃやってらんねーよ!!





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2006/07/26
 しゃらんら大変身
 うちのローレライさんは自由人。最強です。