7.ベナースフ
謎だ。
今自分に起こっていることがあまりにもありえなさ過ぎて笑いたくなってしまう。
ブウサギが徒党を組んでピラミッドを作り上げるよりもありえないだろう。
よく考えろ。
よく考えるんだ。
何で王族の身分に収まっている『ルーク』が、顔の半分を隠すような怪しい奴に声を掛けたのか。
何で俺が断ったら、『ルーク』が捨てられた犬みたいな顔になったのか。
…何で俺は、一度は断っておきながら、今アッシュと同じテーブルに座っているのか。
『それはお前がほだされたからだろう。』
頭の中でローレライの冷静な返答が響く。
うるせぇ。そうだ!そうだよ!!
あのまま断って逃げればよかったんだ。
初めて見たあいつの表情に戸惑わないで、罪悪感なんか勘違いだと信じて逃げればよかったんだ!
俺は右手でストローを滑らせて、目の前に置かれているオレンジジュースをかき混ぜる。
結局、交わした約束はこうだ。
まず、一度荷物を置きに行かせてくれ。
ローレライの鍵を背負ったまままともな話ができるとは思えなかったから、というのが理由だ。これは自分を褒めてやりたいと思った。その時は考えてなかったけど、話すにしたって分厚いマントを着たまんまというのは失礼極まりないだろう。
そして、用事があるから30分だけ。
……なんで10分とか、15分とかにしなかったのかと、自分を殴りたくなった。
ともかく、約束は約束だ。
かくして俺たちは一つの店に乗り込むこととなる。
いつもは半分ぐらいしかないのに、今日はなみなみとオレンジジュースが注がれたコップ。これは同伴者が一目見ただけでわかる貴族さんだからだろう。俺は汗をかいているそれから、ちらりと視線を正面へ向ける。
アッ…いやルーク…もう俺の中ではアッシュでいいや。アッシュはアッシュで、何か思いつめたような表情で運ばれてきたアイスコーヒーを睨んでいた。一緒に置かれているシロップのビンや、ミルクの壷は手付かずのままだ。
「…よく、何も入れないで飲めるなー。」
「―は?」
思わず口にした言葉に怪訝そうな顔をされてしまった。ようやくコーヒーから視線が浮いた。
「や、自分がブラックでコーヒー飲めないから、飲める奴がちょっと不思議なんだよ。」
苦いだろ。コーヒーって。
続けて言うと、なにやらアッシュは破顔してみせる。
…自分が見たこともない表情をされると、物凄く怖いんだけど…もちろんこんなことは言えない。
「口が子供だな。」
むかっ
「ガキ扱いするなよ。こう見えても今年で21になるんだぞ。」
正確に生きた年数は11年。
一瞬アッシュは驚いた表情を見せるが、次には口の端に嫌な笑みを浮かべるだけだ。
「ガキ扱いをされたと思うのなら、それは自分で自分が子供だと自覚しているからだ。」
「…別にコーヒー飲めないだけだから自覚云々はいいんだけどな。
そもそも、なんで王族のアンタが俺なんかに声を掛けたんだよ。」
沈黙は時間を遅くする。
と身を持って体感しているので、極力早くこの空間から逃げ出すために俺から話題を振ってみる。
アッシュはやや考える素振りを見せて口を開いた。
「…貴族だと知っていながらそんな口ぶりする奴は周りにいなかったからな。
興味本位だ。」
言って、アッシュはコーヒーを喉に流し込む。
…そういえばはじめにマントを引かれたとき、めちゃくちゃ怒鳴り散らした記憶が…
なんだ、ばれている訳じゃないのか。
「ほんの出来心で他人を拘束するな。」
「了承はとっただろう。嫌なら断ればよかったじゃねぇか。」
「断れる状況か!いい見せもんだよこっちは。」
にやにや笑いながらアッシュは言ってのける。
一度断ったあの時の表情に自覚はないみたいなので、突っ込むのはやめておこう。
ため息を吐いてマスクの下にストローを差し込む。甘いばっかりなオレンジジュースが口の中に広がった。
「顔を打ちつけたと聞いたが、傷はどうだ?」
「あー、傷ってホドじゃないって。
切ったわけでもなかったんだから気にするなよ。」
言ってもう一口。
視線を上げてとりあえず笑ってみせる。
「宿に帰って確認したけど、取り立てて騒ぐような状態じゃなかったから。
えーと、多分2・3日で治るぐらいだったから、気にしないでいいからな?」
隠している布の上からぶつけられた箇所を軽く撫でて無事を示す。アッシュは安心したように薄く微笑んで相槌を打ち、そして真面目な顔になった。
「顔を隠していることを聞いてもいいか?」
「ん?ああ、別にいいよ。」
いつ誰に聞かれてもいいように、返事を用意している質問だ。
「もう3年くらい前になるかな。戦争があっただろ?すっごい短い間だけの。
そん時に巻き添えを食ったんだ。」
「……」
「見せても、見せられても気持ちのいいもんじゃないからな。ま、あんま気にしないでくれると嬉しい。」
嘘八百なんだけど、聞いた側のほうがいつも沈痛な表情になるので心が痛い。
こういう言い方をすればわざわざ見せろとか言ってくる奴はほとんどいない。詳しく言わなくても聞いたほうが色々想像してくれるから、細かい設定も必要ない。
嘘を吐いたことの気まずさから、今度は俺が視線を泳がせて目の前のジュースをすする。
少しして、アッシュが伏せていた目をあげて正面から見つめてきた。
「第七音譜術師を紹介するぞ?」
重々しい表情で言った言葉に、飲み込もうとしていたジュースが喉に引っかかる。
第七音譜術師は…治療師と予言師の二つの職業だ。予言の読み上げは厳重に禁止されているから、癒しの術を使う「治療師」を紹介すると言う意味だろう。けれど、それは上級貴族のアッシュが一端の人間なんかにする普通の対応とは違うことぐらい俺にだって分かる。
冗談かと思ってまじまじとアッシュの目を覗き込むと、その目は至って真剣なものだった。
初対面の人間に何言ってんだこいつ。
「い、いいよ。気にするなって言ったろ?
日常生活に支障があるわけじゃないからこっちは気にしてないんだし。
顔を見合わせなきゃいけないような世界に首突っ込む気もないからな。
そう言ってもらえたのは嬉しいけど、お互いそんな義理もないじゃんか。」
すみません。俺は一人、第七音素の塊持っているんで傷の治りが滅茶苦茶早いんです。さっきぶつけられたのだって、きっともう痕も残ってないです。
重ねて吐いた嘘に心の中で謝りながらふと、外していた視線をアッシュへと向ける。
そのアッシュは眉間に皺を寄せて、人を殺せそうな目でアイスコーヒーを睨んでいた。
「…どうしたんだ?」
剣呑な雰囲気に思わず問いかけると、アッシュの視線が躊躇いがちに揺れてまたコーヒーへと戻った。とりあえずその様子を見守ることにする。
しばらくしてアッシュは、自分の顔を片手で覆って小さく呻いた。
「ど、どうしたんだ!?」
「今日の俺はどうかしている…」
ずるずるとテーブルについていた自分の腕に顔を埋めてアッシュは呟く。
こんな弱々しいアッシュを見たのは初めてだ。
『どうかしてる』って、そりゃ…俺の記憶の中のアッシュと違う面が多々あったりしたけど、別に違和感はなかったし。…もしかしてどっか具合が悪いのか?
『まぁ、あながち外れてはいないな。』
と、ここでいきなり今まで黙っていたローレライが話しかけてくる。
なんで今まで黙ってたんだよ!
『そこは色々理由がある。あまり長く喋るつもりもない。
あと5分だ。』
はっとして時計を見ると、本当だ後5分だ。
「そういえばお前、名前は?」
机に伏していたアッシュが体を起こして聞いてくる。
「い、言ってなかったか?」
「聞いていないな。」
初めに聞かれなかったから安心して忘れていた。
…あんまり自己紹介したくないんだけどな…この名前、否が応でも記憶に残るから。
「……笑わないか?」
「名前をか?人の名を聞いて笑うような人間じゃねぇつもりだ。」
「………」
今日何度目か、視線を泳がせる。
黙っているわけにもいかないので、言い馴れない名前を口にした。
「………ユリア……」
「…」
聞いた瞬間、アッシュがジト目で睨んでくる。
に、睨まれるいわれはねぇぞ!
「名づけた奴が『ユリア・ジュエ』のことが好きだったんだよ!」
机を叩きながら訴える。しかし、アッシュの目からは疑りの色は消えない。
「…まぁ、そういうことにしておいてやろう。」
「っかー!まぁ別に信じなくてもいいけどな。
時間だからもう行くぞ。」
言って俺はすぐに腰を上げる。長々と話し込んで、いつ自分がぼろを出さないかと胃が痛くなるのは勘弁だ。
一瞬驚いた顔をしたアッシュは懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。
「行きずりだったけど話してて面白かったよ。
もう会うこともないと思うけど、元気でな。」
自分で言った言葉に、胸が痛んだ。
会えて嬉しかった。
声を聞けて嬉しかった。
その腕に引き寄せられて嬉しかった。
…結局、こいつと会って嬉しいことばっかりじゃないか。
いつも最後の最後で俺は自覚する。
いいんだ。俺が『ルーク』だったって知られなければ、アッシュは今日みたいに笑っていられる。
俺が『ルーク』だって言わなければ、今日会って話したことが良い思い出になる。(多分…)
もう、二度と会わないように気をつけよう。
こんな風に神経を擦り減らされるのなんて二度と御免だ。
半年かけて構築した『ユリア』の礎を、こんなところで崩壊させてなるものか。
「ジュース代ここにおいて置くから―」
ぱしん
小気味よい音を立てて、財布から取り出したガルドを置いた手がアッシュに掴まれる。
頭から血が引く音がした。
「な、ちょっ!何掴んでんだよ!」
慌てて振り解こうとするけどビクともしない!
痛くは無いんだけど…やっぱ動かせない!
「俺は…これで終わりにしたくない。」
アッシュが俺の目を見つめながらそう言っ……………へっ?
音を立ててアッシュは立ち上がり、身を乗り出しながら掴んでいる俺の手を自分のほうへと引き寄せる。
近づけられた顔は自分の記憶のソレよりもずいぶん大人っぽくなっていた。
違う。何言ってんだコイツ!!何言ってんだ!?
「これで終わりにしたくない。」
切実な色が見え隠れする真剣な眼差し。
さっき下がった血が一気に頭に戻ってきた。
「お前っ!自分が何を口にしてるか分かって言ってんのか!?
キャラが違うぞ!俺が知っているあんたのキャラと違う!!」
腕を振ってなんとか振り解こうとするがやっぱりビクともしない。
掴まれていない右手でアッシュの手を外そうとすると、相手の空いている手で逆に捕まえられる。
冗談じゃない!何言ってんだこいつは!
…いや、むしろ誰だコイツは!?
「うわっうわぁ!そ、そんな事言ったって、しょうがないだろ!
俺は世界をぐるぐる廻ってんだ!そんな中じゃアンタと話しようがねぇし、そもそも会わなきゃいけないことも無い!なにトチ狂ったこと言ってんだ!!」
「俺は正気だ。」
そして本気だ。至近距離にある目は、そう言っていた。
何だコイツは!
誰だコイツは!?
何なんだこの状況は!?
少しも思い通りに動かせない両腕が腹ただしいし、何でアッシュがこんなことを言ってきてこんなことまでするのかわかんないし、少しでもなんか助言をくれればいいのにローレライは何も言わないし!
感情が高まりすぎて目の奥が熱くなる。
悔しい。何で分かってくれないんだ!
俺はお前らに嫌われたくないんだ!こんな体になったことを気味悪がられたくないし、またお前の場所に介入するのだって嫌なんだ!
「離せっ!はな、せ…よぉ!」
「……」
顔を逸らせながら腕を振る。先ほどと同じだ全然歯が立たない。
アッシュは俺を見たまま眉間にしわを寄せていく。
なんだよ、怒りたいのはこっちだっての。
「ルーク、いい加減にしないか。」
騒々しい店内なのに、その声ははっきりと聞き取れた。
聞き覚えのある声に顔だけ振り返れば、戸口のほうに淡い金髪の背の高い男が立っていた。
…なんだ。今日は厄日か?
返せ。俺の平穏を。
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2006/08/02
心理描写は難しいなぁ。ひっちゃかめっちゃか7話目です。
しかし、アッシュは余裕がありませんねーなんなのこの切羽詰った子は!
なんとか接点を持とうと無意識に必死。…明記すると恥っずいね!21歳!!(笑)
さぁ、最後に出てきた金髪の背の高い男とは一体誰なのか!?もちっと続く〜