8.ベナースフ




「ガイ…なんでお前がここにいる?」
「それはこっちの台詞だよ。兵士たちが血相変えて来たから何事かと思ったぞ。
 ほら、手を離してやりなって。」

テーブルに近づきながらガイは諭してくれる。
優しく意志の強い視線が真っ直ぐに俺に突き刺さる。
年齢以上に落ち着いて聞こえる声は記憶にある彼がそのまま成長した印象だ。穏やかな色を携えているその瞳の蒼も変わっていない。
俺はアッシュがおとなしく言う事を聞いてくれるかと期待した眼差しを向ける。
それに気づくとアッシュはきつく眉根を寄せたまま、引っ張りよせていた体を離す。けど、その手は緩まない。

「…離せって。」

引っ張って促すと、逆に掴む手が強くなる。
こいつガイが言ったこと聞く気ねぇ!

「こいつ何とかしてください!」

ガイへと振り返り俺は心の底から叫ぶ。
間近まで来ていたガイは俺を見るや否や、ぎょっと目を見開いて見せた。
やばい、ガイは聡い。

「……キミ、会った事ない―」
「ねぇよ!」

ガイが言い切る前に否定する。
微妙に納得していない相槌を打つガイから、視線をアッシュへと戻す。こいつはこいつで射殺しそうな目で睨んできやがる。…いや、ここで俺が逆上しても仕方がない。冷静になれ、冷静になるんだ。
自分に言い聞かせて息と一緒に篭った感情を吐き出す。そして、アッシュを睨み返した。

「アンタは、結局どうしたいんだ?」

わずかにアッシュの手が強張る。

「ここで、俺を掴んでどうするつもりだ。またこれも気まぐれって言うのなら勘弁してくれ。
 俺だって暇じゃない。それはアンタだって同じだろ。」

何か用事がなけりゃこいつがバチカルから出るなんてそうそうにあるはずがないんだ。

「俺は今後一生、貴族と関わる気はないんだ。
 だから…ルーク、離せ。」

言い聞かせるように言葉を紡ぐと、感情のどこかがぎりぎりと痛む
…俺は、やっぱり『ルーク』でいたかったのだろう。存在を返したとはいえ、この、名前を、他人のものとして口にするなんて…思ってもいなかった。

やや間を置いて重なっていた視線が逸らされ、ゆっくりと両手が開放される。

「…悪かった。」
「別に―」

しおらしく謝るアッシュの前でテーブルに右手をつき、大きく身を乗り出す。その動作の中で左手は振り上げていた。
近くまで来ていたガイが息を呑む音が聞こえた。


ばちんっ

良い音をたてて俺の掌がアッシュの右頬に埋まる。
アッシュは何が起こったのかわからないという表情を浮かべて硬直した。

「…相応にやり返してもらうから謝るな。」

呆然としているアッシュに言い放ち、俺は置いておいたマントを羽織る。
アッシュが正気に戻る前に立ち去ろう。

「き、キミ、凄いことするね。」
「どーも。」

ひきつった笑顔を貼り付けたガイの隣を通り過ぎる。
…ガイも元気そうだ。
内心でほっと安堵の息を吐きそのまま俺は店の外に出た。



…とっとと今日は買い物を済ませよう。そんで、早く寝てしまおう。

店から飛び出した砂っぽい道は、あの懐かしい時といくらか姿を変えていた。それがどうしようもなく悲しくて辛い。
俺が生きていた場所は姿をどんどん変えていく。新しい記憶に塗り替えられて昔の姿はどんどん忘れていく。俺は、自分の記憶の中からも『俺』を失うのだろうか。

『…お前は、お前のままだ。
 名が変わろうと、姿が変わろうと、その根本は揺るぐはずがない。』

ローレライの声が頭の中に響く。
そうだ。俺が俺だということは自分がよく分かっている。
けど、自分だけが分かっている状況は違うと思う。

俺は感情の高ぶりに耐え切れず、宿屋へと足を速める。
ぐらぐらと感情を突き動かしてくる衝動を、俺は自覚している。

カウンターにいる親父への挨拶もそこそこに、自分の部屋に飛び込む。
マントをかなぐり捨ててウィッグもはずし、顔を覆っていた布も一緒くたにして床に投げつける。そしてそのままベットに倒れこんだ。
安物の布は硬かったけれど、それでも自分を優しく受け止めてくれる。
ああ、俺は無機質なものにまで安らぎを求めはじめてる。

『…ユリア?』

いくらか俺を気にしてくれているローレライの声。

「…俺、アイツにあんな風に扱われたの…初めてだ。」

正面から見つめられて、当たり前のように助けられて、別れることを拒まれる。
たわいもない会話で交わしていた声だってそうだ。
あんなアッシュの表情や行動を、『ルーク』の時は知らなかった。
『ユリア』だったから知ることができた。


俺が『ルーク』の時には、知り得なかったんだ。


瞼が熱くて無意識に両手を押し付ける。
押し付けた場所からしっとりとした感覚が伝わり、自分は泣いているのだと気付く。
泣いていたことを自覚すると、泣いてしまった理由に気付いてしまう。
愕然としたのは一瞬で、すぐに火がつくような怒りが自分を覆う。

「…ッ…馬ッ鹿じゃねぇの…!」


『ルーク』である自分が『ユリア』である自分を妬むなんて、アホらしいじゃ無いか!



そう思えるほどに自分を抱きしめた彼の腕は温かかったのだ!





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2006/08/05
 短くなってこんばんわ。金髪男はナイスガイでしたー
 アッシュをひっぱたくくだりが物凄く楽しかったです。…やっぱり私はアッシュを虐めたいのでしょうか…?
 短いながらも、この話は個人的に好きですね。特に最後のあたり。
 アッシュと違って、ルークは自分の感情の形を把握しています。(ちょっと漠然としてますが…)
 この辺りをネックに話を進めて行きたいものです。当分は接点ないですけど(笑)