9.ベナースフ
「キムラスカの兵が『ルーク様がナンパを!!』って叫びながら飛び込んできた んだが、これは本当か?」
ブシッ
ガイの問いかけに、ルークは口にした水を盛大に吐き出した。
ここはマルクト領事館。二人が船を待つ間の時間に明け渡された一室である。
「だっ、誰がナンパなど…!」
「じゃあ『話をしたい』と言って、見ず知らずの女性と約束を取り付けるという のはナンパじゃないんだな?」
水浸しになったテーブルを拭きながらガイが兵士の訴えたことをそのまま言うと、ルークは顔を赤くして口をつぐんだ。
何の歪みもなく、それを言葉のまま受け止めれば、間違いなく『ナンパ』だろう。
ルークの自覚の皆無さにわずかに安堵のため息を吐いて、ガイは問いかけを続ける。
「…ずいぶんお前らしくない行動だったじゃないか。どうしたんだ?」
自分を律することに秀でている印象がある幼馴染の暴挙だ。心配しないほうがおかしいだろう。ガイの心配そうな顔を前に、ルークは首をかしげて見せた。
「…俺にもよく分からん。」
頭を抱えて見せていた青年の答えは不明瞭なものだった。
「分からんって…何かしら思うところがあったんじゃないのか?
そうだなぁ、例えば『傍にいたい』とか『話をしたい』とか『相手のことを知りたい』とか。」
薄く笑いながら恋人同士が抱くような感情ばかりを列挙してみる。
てっきり譜業が暴発するぐらいの勢いで反発されるかと思いきや、目の前に座るルークは顔をやや青ざめさせてガイを凝視していた。
ソレを知覚したガイから血の気が引いた。
この反応は洒落にならない。
「ちょ、ちょっと待て!ちょっと落ち着こう、な!」
落ち着こうと言っている本人が一番うろたえているが、とりあえずそれは問題ではない。
片手を上げて制止の形を取っていたガイは、やや前屈姿勢になってルークの顔を覗き込む。
「そ、そういう感情があったのか?」
「……考えてみればそうだったのかもしれない……」
思わぬ肯定の言葉にガイは本気で青ざめる。
この目の前の青年は貴族という身分。王の座に落ち着いてもおかしくないとまで言われている才能を発揮している彼は、ありとあらゆる、ソレこそ全世界のお貴族様方の注目の的だ。ナタリアとの婚約を断っていると噂になっていることが拍車をかけて、権力者たちは今か今かと、自分の娘なり孫なりを婚約者へ名乗り上げさせようと狙っている。
こんな状況で、いやこれからの状況でこの青年が『恋愛』を成し遂げることなど、できるはずがない。
こっここここ 恋か!?
「…本気か?」
「…自覚しないうちに体が勝手に動いたことを『本気』というなら、そうなのかもしれん…」
黒髪の女性…『ユリア』が自分と別れると申し出たときの焦燥感、自分と深く関わろうとしない態度への怒り、それらは昔どこかで味わったものに変わりなかった。それをいつ味わっていたか定かではないが、ルークは確かにその感情に覚えがある。
ルークは思考をめぐらせる。
細い裏路地でユリアを抱いたとき、そのことを忘れてしまうほど彼女の存在は己の手に馴染んでいた。
そのようなことはあるはずがない。人を一人抱えているのに。
自分の剣ダコができてしまっている両の掌を見つめる。
とっさに掴んだ細い手首を覚えている。ユリアに触れているとき、確かな安堵感が自分を包んでいた。あの安堵感の正体も気になるが、ユリアが自分に抵抗しているときの不愉快さもまた心当たりのない感情だった。
「…なんだったんだアレは…」
何故見ず知らずの人間に心を騒がせられなければならないのか。
漠然とした動機だというのに、それによって掻き回される感情は確かな形となって自分を突き動かす。
「……くっ…そ!!」
この感情は覚えがある。
ただ、それをいつ、どこで味わったかなんて覚えていない。
「彼女とは、どうするつもりだ?」
「…どうするもこうするも、俺は名前ぐらいしかしらねぇ。
どうしようもないだろう。」
ガイに対して言い放つというよりもまるで自分に言い聞かせているような含みを感じ、ルークは更に眉間にしわを寄せた。
それを感じ取ったかは分からないが、ガイは改めてルークの瞳を覗き込んで問う。
「…彼女のことを、どうするつもりだ?」
自分の迷いを掬い上げてきそうな青い瞳に気付き、ルークは反射的に両の瞼を下ろす。
その瞬間に脳裏に浮かんだのは『碧』の瞳だった。
赤い髪の青年と、黒い髪の少女。そして自分の瞳。
ルークは大きく息を吐いて落ち着きの無かった内心を静める。
ゆっくりと瞼を開いて、未だに答えを求めている青を見つめなおした。
「…騒がせて悪かった。
忘れることにする。」
「は?」
ガイはその答えを予想してなかったようで、素っ頓狂な声を上げた。
ルークはコップに残っていた水を飲み干して荒々しく机に置く。
「二度も言わん。」
「ちょ、ちょっと待てよルーク。お前それでいいのか?」
そう言って立ち上がり部屋を出て行こうとするルークの腕をガイが掴む。
ルークはそれを一瞥すると己の腕をねじり、ガイの拘束を荒々しく振りほどく。
「ル―」
「俺たちがここに来た理由は何だ!?」
燻っていた感情を吐き捨てるようにルークは怒鳴った。
「今日のアレは…俺の勝手な行動だ。
アイツとはもう会うこともねぇ。この話はもうするな!」
真実から沸き起こる苛立ちを叫び、ルークはドアを開けた。
「どこに行くんだ?」
「港だ!」
腰を上げて問いかけるガイに視線も向けずに言い放つと、ルークはそのまま出て行った。
勢いをつけて閉められたドアに軽く肩をすくめ、ガイは再び腰を降ろす。そして背もたれに強く背中を押し付けて顔ごと視線を天井へ向ける。
頭の中で反芻するのは幼馴染の今まで見たことも無い執着の仕方。
それと、その対象である少女の姿。
(……あの目…)
一度だけ交わった視線の先のフォレストエメラルドのように澄んだ色彩は、自分の記憶の一番大切な人と重なった。
もしかすると、苛立ちを露わにしたあいつも似たような感情を抱いたのかもしれない。
「…赤い髪をした子供の確認。」
ルークの問いの答えを吐き出す。
その答えを聞く人はもういない。
きっと一人でもやもやした感情をもてあましながら、もうじき出航の準備が整う船を急かすのだろう。
ガイは体勢を整えぱしんと軽く膝を叩く。そして立ち上がりそのまま部屋を出て行った。
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2006/08/08
戸惑え青少年をコンセプトにお送りしました。(何ソレ) 青少年はガイ・ルーク両方ですよ。
やっぱりルークに飢えているので、次はちょっと時間を遡らせます。愛が偏っててごめんなさい。