10.ベナースフ
今の時間より4ヶ月ほど遡る。
朽ち果てた遺跡と成り果てたエルドラントからの脱出を果たしたルークは、流れ流れてエンゲーブへと辿りついていた。
とあるルートで購入した黒髪のウィッグをかぶり、広く知れ渡っている顔を隠すために顔の半分を覆える薄布を付けた。服はローレライが作ったものをそのまま身に付けている。
さんさんと太陽の光が降り注ぐ畑の傍らに道中で購入した丈夫なマントを広げ、そこに腰を下ろして作ったばかりのおにぎりを頬張っていた。
ちらほらと道を行く人々は笑顔で簡単な言葉を交わし、またそれをルークへと投げかける。
平和そのものの環境にルークは安堵のため息を漏らした。
「おう、アンタ見ない顔だね。どうしたんだいこんなところに。」
それに気づいた畑のおじさんが人のよさそうな笑顔を浮かべてルークへ話しかけてきた。
やや背面に近いところにおじさんが立っていたので、ルークは体ごと向きを変える。
「チーグルの森に行くつもりなんです。」
「へぇ、そりゃ珍しいな。グランコクマじゃなくてそっちに行くのかい。
誰か連れでもいるのかい?」
「連れは…一応一人。」
フォニムの集合体であるローレライを『一人』という数え方にしてよいのかと不安を覚えながらも、ルークははにかんでみせる。
その表情に安心したのか、おじさんはうんうんと力強く頷いた。
「ならいいんだ。あのあたりはまだ魔物も強暴だからな。
女の子の一人歩きは危ないからなぁ。お連れさんにもよろしくな、気を付けて行きなよ。」
「あ、あのっ!スミマセン!」
軽く手を振って仕事に戻ろうとしたおじさんをルークは呼び止める。
おじさんが振り返ると、ルークは早口に言い放った。
「チーグルの森に、人が住めそうな場所ってありますか?」
「…はぁ?」
おじさんの顔が不審そうに歪められた。
ここはエンゲーブ。平和な村だ。
「で、アンタがそのチーグルの森に住みたいって子かい?」
「はい。は、初めましてローズさん。」
恰幅のいいローズと呼ばれる女性は、ここのエンゲーブの長的な存在だった。
ルークは久方ぶりに見る知人の姿に安心する。威勢のいい声音とおおらかな性格に変わりはないようだ。
ローズはともかくお座りよ、と言ってルークを座らせ、その前に温かな紅茶を差し出した。
「なんだってあの森に住みたいなんて言うんだい?」
「あ、お…私は、ちょっと用があって世界中をぶらぶらして回るんです。
街中に住むところを持つよりは、あまり人の手のかかっていない静かな所に家を持ちたいんです。」
正直あやふや過ぎる理由だとは思うけれど、ルークに難しい言い訳を考え付くことは不可能だ。仮に考えられたとしても、つじつまを合わせるとこができないだろう。
真剣なルークの様子にローズは溜息をついた。
「あのねぇ、聖獣が住んでいるとはいえあのあたりもまだ魔物が絶えないんだ。悪いことはいわないからやめときなさいよ。」
「ということは、住めそうな場所があるんですね?」
言葉裏を摘み上げるルークにローズは真剣な顔になる。
「そういう問題じゃなくてだね、アンタ連れがいるらいしいけど、たった二人であの森の近くに住もうなんて危なすぎるだろう。アタシはそんなことは許可できないよ。」
「大丈夫です。お…私、強いですから!
お願いします、皆さんには絶対に迷惑をかけません。」
「しかしねぇ…」
「お願いします!」
膝の上に両手をついたまま机ぎりぎりにまで頭を下げるルークを見て、ローズは何度目かの溜息をついた。
「そもそもアンタ、生まれはどこなんだい?ずいぶん若いみたいだけど、ご両親は一緒じゃないのかい?」
ひくりとルークの肩が揺れる。
「家を持つってことはそんなに簡単なことじゃないんだよ。」
「親はいないんです。住んでた家も、もう別の人の家になりました。
戻れる場所が欲しいんです。お願いします!」
「ああ、そりゃ悪いことを聞いたね…じゃあ連れの人も同じなのかい?」
「う、うん。」
ローレライには『親』はいない。もちろんそうだろう。
肯定することに違和感を覚えながらも、ルークはちゃっかり頷いた。
その戸惑いをどう受け止めたのかローズは困った顔をして頬を掻く。
「…せめて、こっちのエンゲーブに住もうとは思わないのかい?」
「なるべく、人の手を患わせたくないんです。
街中に住むとどうしても迷惑がかかると思うから…」
本当の理由は、『人に関わりたくない』だけだ。
自分という存在を知る人を少しでも少なくしたい。
「……しょうがないねぇ、アンタほんとに腕はたつのかい?」
「は、はい!」
「チーグルの森のはずれに昔チーグルを観察・保護をするために作られた小屋がある。
村の者に案内させるよ。この村じゃ少しばかり値は張るが必需品とかも買っていくといいさ。」
「ありがとうございます!!」
「無事に生きてくれりゃそれで十分さ。
さて、そういえばまだ名前を聞いてなかったね。」
一瞬息を詰め、それを覆い隠すようにルークは笑顔を浮かべた。
「名前は、『ルゥ』です。よろしくお願いします!」
『何が『ルゥ』だ。誰が『ルゥ』だ。』
(うるさいなー。いい加減諦めろよなー)
頭の中でつらつらと流される不満の声に、ルークは仕方がないだろうと心の中で説明をする。
(あっちこっちをふらふらしているのならともかく、ずっと拠点にする目的の村で『ユリア』は目立ちすぎるって。それに、まだ俺は『ユリア』って呼ばれるのに慣れてないんだ。呼ばれてすぐに返事できなかったりしたら怪しまれるだろ。)
『だからと言って『ユリア』の名を隠すような行為は感心しない。』
(感心しない、じゃなくて気に食わないだけだろ。)
「ルゥちゃん」
不毛な思考が中断される。
気がつけば地面しか写っていない視界に気づき、慌ててルークは顔を上げて前を歩く猟師の身なりをしたおじさんを見る。
「どうしたんだいぼーっとしちゃって。」
「は、はい。いや、考え事してて…」
不思議そうな問いかけにルークは僅かに頬を染めて笑う。
するとおじさんは、ははぁと小さく呟いた。
「もしかしてお連れさんのことでも考えてたのかい?」
「ぇっ」
「いいねぇ〜若いってのは。
お連れさんとは付き合いは長いのか?」
「あ、はい。もう4年くらいになります。」
おじさんの言った『若いといい』と言う意味を図りかねながらルークは歩みを再開させる。
頭痛に悩まされた、まだ「ルーク・フォン・ファブレ」だった時から数えるともうそんなにもなる。(空白の一年を含めて)
「へぇ、じゃあルゥちゃんは幾つだ?」
「21になります。」
「なら今後が楽しみだな。」
そう言って軽快に笑うおじさんの背中を見つめながらルークは首をかしげる。
自分の歳で何が楽しいと言うのだろうか。
「さ、そろそろ着くぞ。
しかし、そのお連れさんは一緒に来なくて良かったのかい?」
連れであるローレライはルークの中に在住だ。
来るも来ないも、根本から話が違う。
「はい。あいつは、お…私の居場所がわかる奴だから、別々になっても平気です。」
聞くとおじさんは片手を自分の額へと叩きつけた。
「っかー!アッツイねぇ!昔を思い出すなぁ!
いいぞ、おじさんはルゥちゃんの味方だからな〜!なんか困ったことがあったらいつでも尋ねて来いよ!」
「は、はぁ…」
矢継ぎに放たれる言葉の端々が理解できず、とりあえず相槌を打っておく。
すると、視界の奥で森が開けているのが見えた。
「さ、着いたぞ。あそこに見えるのが、昔ダアトから来た研究者が建てた小屋だ。
小ぢんまりとしているが案外中は綺麗でな。小屋とは言っても十分人が住める。
まあ、2人暮しならともかく3人になるとしたら手狭だがな!」
がははと続けて笑うおじさんに、3人で住む予定なんかないよ。とは言い出せず、苦笑でその場をやり過ごした。
遠目で見てもわかる、木で作られ所々をレンガなどで補強されているその小屋は、想像以上に立派な造りだった。思わず感嘆の息を漏らしながらルークは逸る気持ちを抑える。
「家具とかもそのまま置いてあるが、まあ放置していた時間が長かったからな。あまり期待はせんでくれ。すぐ近くに川があるから水には困らんだろう。」
「はい!十分です!」
家の前までたどり着くと、ルークは持っていた荷物を傍らに置きすぐに家へと駆け寄った。
窓から覗き込んで見える中は、さすがに長く人が離れていた事をひしひしと感じられるほどに荒れている。
「何か手伝えるかい?」
「いえ、大丈夫です。案内ありがとうございました。」
「いいってことよ。本当に、なんか困ったことがあったらすぐに言うんだよ?」
持っていた荷物を家の近くに下ろしておじさんは笑う。
つられるように笑いながらルークは再び礼を言った。残って片付けぐらいは手伝うと言ってくれているおじさんを日が暮れるからと言い含めて帰らせた。
昼を過ぎた時間帯はまだまだ森の住民たちも元気なようで、風の音にまぎれて鳴き声やら木々の擦れる音などが小屋を包んでいる。
『一人で大丈夫なのか?』
「一人でやらずにどうするんだよ。」
荷物の中から小型の掃除道具を引っ張り出してルークは気合を込めるように息を吐く。
とりあえずは眠れるように。片付けは必要だ。
ルークはローレライの頼みを聞くだけなら住む場所など必要無いと最初は考えていた。
ところが、この世界に戻ってきてみれば自分の性別は変わってしまっているし、詳しく聞いたローレライの頼みというものも簡単に済むような内容ではなかった。(二月をかけてようやく一件を終わらせた。そんなペースだ。)
移動移動でお金ばかりを消費していく事実を自覚し、ルークは気づいたのだ。
どこかを拠点にしなければ飢え死にすると。
アニスのように金銭面の采配に卓越していればそんな心配も無いだろうが、そのあたりの感覚はほとんど養われていない。パーティーにいたころから金銭を任されるなんてことはまったく無かった。そして今経験不足が如実に形として現れている。
家を持つことだってそうだ。
かろうじて知っていたのは、街中に家を持つためには街や国を相手にした手続きが大量にあって、それに伴う金銭のやり取りも額がでかい。性別が変わってしまった事を隠したいルークだ。そんな行為を経た環境で顔を隠したまま生活ができるとは、いかにルークと言えど思わない。
一時はコーラル城にでも隠れ住もうかと考えたが、コーラル城近辺の寂れた様子を思い出し、それも不可能だと悟る。(そもそもファブレ家の関係者に見つかったら一巻の終わりだ。)
そこそこに人口は多くなくて、移住してきた人間にも優しく、手続きなども必要なさそうという条件を考えれば、エンゲーブ以外にルークは思いつかなかった。
それでもやはり村の中に住むわけにはいかない。エンゲーブの人たちに『ルーク』の顔は割れている。それにエンゲーブだって国を代表する農村だ。国の関係者が出入りする可能性だって無いわけではない。
警戒に警戒を重ねて、チーグルの森と言う選択肢をルークは作ったのだ。
チーグルの森なら自分一人でも迷えずにたどり着けるし、エンゲーブにも程近い。その気になればグランコクマに行って目的地へと移動することもできる。
住めそうな場所があるかどうかは、村の人間に聞いてわからなければ森のチーグルたちを尋ねようと思っていた。
家具を家の外に引っ張り出していた手が止まる。
そうだ。あのチーグルの子供は元気だろうか。
ルークは体ごと視線をチーグルの住むあの大木へと向ける。
がっしゃん
同時に起きた背後の鈍い音に振り返れば、いらない物として判断したゴミの山が必要だとまとめていた物の上に崩れている。
「あ、あぁーッ!」
大慌てでその山に駆け寄り再び分別を始める。
こうしてルークは、チーグルの森に住むという奇妙な生活をはじめることができたのだった。
そして、赤毛碧眼の目撃情報がマルクト首都グランコクマに持ち込まれた。
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2006/08/13
これ、番外編でも良かったですね。
すみません、ルークが出てこない状況に耐えられませんでした。(なんて奴だ!)
副題『初めてのお買い物』でよろしくおねがいします。え?何も買っていない?
ヅラを買っているではありませんか。これを購入した経路は後々に明らかになります。
…今回みたいに本編に食い込ませるかもしれませんが、その時はご愛嬌。次は時間軸を戻します〜