11.ベナースフ
数多の水滴に煌めく日の光は『水の都』の美しさをこの上なく引き立て、またそんな街を通り抜ける風は不快にならない程度の湿気を含み人の心を穏やかにしてくれる。
久しぶりに降り立った地面の感触を確かめるように踏みしめ、ルークは体を軽く動かした。
「ふられたそうですね。」
ぐっ
突然の背中側からの声にルークは息を詰める。
すぐ振り向きざまに拳を振るが、声の主は立ち位置を変えてあっさりとそれを避けた。
「おや、どうしましたか?そんな顔をして…子供が泣きますよ。」
「うるせぇ!何でテメェがここにいる!?」
やや茶味がかった金髪に常人は持ちえない深紅の双眸、ルークもガイもよく知っているマルクトの軍服を着た男は満面の笑みを浮かべていた。
彼の名前は、ジェイド・カーティス。現在マルクト軍部で少将の位に就いている人間だ。
「他国の英雄をお迎えするために、僭越ながら名乗りを上げさせてもらった次第ですよ。
やれやれ、いきなり殴りかかってくるとは。育ての親の顔を見てみたいものですね、ガイ?」
「相変わらずだな旦那…」
乾いた笑いを漏らしながらガイは男へと手を振った。
「いえいえ、最近は歳のせいか口を出る言葉も少なくなってしまいました。
これからはガイが私の目となり口となり東奔西走して頂かなければなりませんね。」
「こいつの事などどうでもいい!
それより貴様、何を知っている!?」
ひでぇ…と背後で漏らしているガイを無視してルークはジェイドへと詰め寄った。
いくらか近づいたがそれでも遠い目線を見下ろしながら、ジェイドは笑みを深くする。
「風の噂ですよ。なんでもご婦人をその腕に抱くだけでは飽き足らず、強引に約束を取り付けて落ち着いた店内では帰ろうとする彼女の腕を掴んで引き止め―」
「貴ッ様ぁぁぁぁっ!」
「うわぁああぁぁっ!落ち着けルーク!!
ジェイドも良い歳して挑発するなよ!」
羞恥か怒りか定かではないが、頬を染めるほどに逆上して剣まで抜き放とうとするルークをガイは慌てて押さえ込む。訪れた他国で抜刀するなどあってはならない。
言われたジェイドはどこ吹く風で楽しそうに笑っていた。
「し、しかし、本当にどこからそれを知ったんだ?」
正直にガイが聞き返すと、ジェイドは軽く肩を竦めて見せた。
「なに、ほんのちょっと前に漆黒の翼の彼らが通りかかったんです。
『面白い話を買わないか?』とね。いやー、楽しかったですよ〜。
黒い髪をしたかわいらしいお嬢さんだそうではないですか。なんでも顔を隠していたそうで―」
「あいつのことを口にするな!」
烈火のごとく苛立ちを露わにしたルークを見て、ジェイドは笑顔を消す。
口の端に乗せられた笑みの形は消えなかったが、その両目からは確かに笑顔が消えた。
「…チーグルの森の赤毛の人間について詳しく聞きたい。話ができる場所へ案内しろ。」
鋭い怒りが篭ったまなざしを見つめジェイドは目を伏せる。
脳裏に甦るのは怯えたように、それでも強い意志の光を宿した碧だ。
「貴族街にある私の邸へと行きましょう。
そこに、目撃されている赤い髪の人物について集めた資料を纏めてあります。」
それを聞くと、ルークはすぐに踵を返し港の出口へと歩く。
オラクル騎士団として長い時間を過ごしてきたのだから、グランコクマの貴族街の場所は分かるのだろう。歩みに迷いの欠片も見せず、そのまま人ごみに紛れて行った。
その後を慌てて護衛の集団が追いかける。
赤い髪をたらしたその背中にもうここにはいない子供の姿を探したことに気付き、ジェイドは薄く微笑んだ。この行為は自分を苦しめることであり、また虚像を重ねられる彼にとっても苦痛なことだ。
理屈とその範疇外の両方を味わい、深く深く息を吐いた。
「やれやれ、からかい甲斐がありませんね。」
「頼むから逆撫でないでくれよ。
…あんたが望むような反応は返ってこないんだから。」
似た心境を舐めたであろうガイはいくらか空虚に呟いた。
「それはそうと、ガイ。アナタは先程の現場に居合わせたそうでしたが、一体どのような女性だったんです?」
「なんだ、漆黒の翼たちから聞いたんじゃなかったのか?」
「彼がナタリア以外の女性にあそこまでの執着をすることなんてありませんでしたからね。離れた場所から仕入れた話よりも至近距離のほうが臨場感があるんじゃないですか?まあ単なる興味ですよ。」
彼らしい切り替えし方にガイは軽く笑った。
先に行ったルークを追いかけるために、ここからは歩きながらの会話になる。
「ナタリアぐらいの長さの黒い髪で、背はティアより少し高いくらいだったさ。瞳は綺麗なグリーンだ。」
ジェイドは先程まで見つめ返していた、澄んだ翡翠の瞳を思い出した。
「碧…ですか。」
「ああ。厚い生地のマントを身に着けて、砂避けのマスクをしていた。
やけに重装備だと思ったら砂漠を越えるって言ってたな。」
「おや、アナタも彼女と話しをしたのですか。」
「…ルークが結構派手な別れ方をしたからなぁ。余計なこととは思ったんだが追いかけて少し、な。
見たことあると思ったら、ここで散歩中に一回会ったことがある子だったよ。」
「ブウサギのですか。」
「ブウサギのだよ。」
貴族にそのような命令を下す皇帝陛下を思い、二人は浅く溜息をつく。
「しかし、黒い髪に碧の瞳ですか…マルクトではあまり見ない毛色ですね。
出身などは聞かなかったのですか?」
「さすがにそこまでは踏み込んでないって。
…そういえば、見たことのない刺繍の服を着ていたな。」
指で宙を弾き、ガイは懐から布の端を引っ張り出す。
白地に光沢を放つ紫の糸で刺繍が施されている布の端キレだ。
「なんですかそれは。」
「…ルークがかわいそうだったからな、手切れがわりにちょっともらったんだ。」
気まずそうに笑うガイに、ジェイドは心の底からの笑顔を送る。
「それはそれは、どこの変態ですか。」
「また会えるとは限らないし、叶うとも思えないだろ。」
ガイはそれを一度しげしげと眺め、すぐにジェイドへと差し出した。
布の目に逆らったりして乱雑に切り取られたそれが、少女の服の一部だということはすぐに推測できた。ルークとの別れ方を聞いていた限りでは、そのようなことに応じる人間とは思いもしなかったのだが。まあ、そこはガイの話術だったのかもしれない。
「ま、確かに貴族に名を連ねるものとすれば添い遂げられるはずもありませんよね。
アナタの行動が尾を引かせる結果にならなければ―…」
受け取った布の刺繍に視線を這わせると同時に、ジェイドが立ち止まる。
「―と、どうしたんだ?」
二、三歩行き過ぎてガイが振り返る。伺ったその表情を脳で知覚するよりも早く、ジェイドは普段と変わらぬ顔をあげ軽く肩をすくめた。そしてすぐに歩みを再開させてガイの隣に肩を並べる。
「何でもありません。」
「嘘つけ。そんなわかりやすい反応をしといて何でもないことは無いだろ。」
「わかりました。では、今は説明をする気にはなりません。
この刺繍に見覚えがあるので、それを調べてからまた話しますよ。」
説明する意思が無いことを明確に言い渡され、ガイはそれ以上の追及を諦める。不確かなことは発言しないという彼が、何を気にかけているかを明らかにしてくれただけでも大きな進歩だろう。
「そうか。さ、早く行こうぜ。護衛たちの胃に穴が開かないうちにな。」
「気分屋な主人は大変ですからね。」
「…奔放として、部下を巻き込むことばっかりを追求する上司がいると思うんだが…」
ガイの低い声は、軽快でわざとらしい笑い声にあっけなくかき消された。
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2006/08/19
ジェイド登場です。…大佐から昇進したら少将であってたのかと、不安が絶えません。
もし間違ってたら、ど、どなたか注意してやってください…
あれ?そういえば、この文、場所を明記していませんね。グランコクマのつもりです〜
ココに連れて来たからにはウパラを出したいのですが、いかんせん食い込ませるのが難しい! チッ
番外編か何かでルク子に絡ませようと思います。ウパラ!