13.ベナースフ




冷えた塊。
遠い安らぎ。
暖かな安穏。
取り払われた境界。

不安定な足元。

響く嗚咽。

あたり一面に咲きこぼれる紅い色彩と繊細な線のフォルムの彼岸花。

強い風にざわざわと全身を擦り合わせる音は、助けを求める声なのか。

なぜだ と、声がした。
どうして と、憤る声がした。

紅い花の海を掻き分けて無数の人影が立ち上がる。
顔は見えない。
男か女かも判別できない。
その人たちは生白い腕を肩の高さまで上げて、俺に両腕を突き出す。

判別できない顔なのに、確かな視線を生む眼球があった。

腕の中の一つが、赤く濡れた指で指してくる。






どうしてお前は生きている?








「―――ッッ!!!!」

音を成さない悲鳴。
全身を跳ね起こしてそこに広がる、記憶に新しい赤と黒の世界とは違う夜の闇に、目を覚ましたことを自覚する。
ばくばくと脈打つ心臓を押さえ、脈動とともに重く響く耳鳴りを振り払うように首を振る。髪が汗で首に纏わりつきとてつもなく不快だったが、その不快感がより一層意識を現実に引き戻してくれた。
浅く短い呼吸を繰り返しながら無意識にローレライを探すが、己の内からの返答は無い。

「…そぅ…か…」

呼吸の合間に声を漏らして、仰向けに倒れる。
いつも自分の中にいたローレライは、彼なりの所用で今は留守だ。
首を倒すと、焚き火がかなりか細くなっているのが見えた。気だるいと思う感覚を押し殺して荷物の中に腕を伸ばし、購入しておいた固形燃料を握り潰して炎の中にくべる。
一度小さな火の粉を巻き上げて炎は肥大し、やがてその身を縮こませて安定する。
夜の空気を舐める赤を見つめ、冷えた額の汗を掌で拭った。

悪夢とはよく言ったもの。
頻繁に見る暗い世界は、自分の罪の意識の現われなんだろう。
死んだ人が俺を恨んでいるなんて、思い上がるなと眼鏡をかけた鬼畜軍人に怒られた記憶が甦る。
殺されたと知らずにいる人間を、自分を苦しめる加害者にするなんておこがましいだろうと続けられる。罪を犯されたことを知らない人が悪役にされるなんて、許せる事ではない。そしてそんな夢を見るのは、ただ許しを請いているだけなんだと笑われた。
こんな夢を見るのは二つの理由。

許しを請うことが一つ、もう一つは慰めて諌めてもらう事。

俺は無意識に求めているんだ。
泣き腫らした自分を慰めてくれる存在を。
2日か3日、それぐらいに前にアッシュとガイに会ったのが余計に人恋しくさせているんだろう。
その感情があまりにも女々しすぎて情けない。
行き場の無い感情を持て余した俺は、布団代わりに体に巻きつけていたマントを顔まで引き上げてそのまま押し付ける。マントは土と埃と、魔物と戦ったときにでもついたであろう獣の臭いがした。息苦しさを堪えきれずに結局元の状態に戻す。
体は疲れていたが眠る気にはなれなかった。

炎をぼぉっと見つめて、砂を巻き上げる風の音に耳を傾ける。
今自分がいるのはザオ遺跡の入り口付近だ。

ローレライが用があったのはその深くにあるパッセージリングだった。
何をするのかと問いかけたら、しっかりとした口調で挨拶回りをしていると返された。
音素の集合体のローレライが一体何に対して行う挨拶なのか甚だ疑問だが、ともかく俺がローレライに頼まれたのはその『挨拶回り』の手伝いらしい。それらしい場所に運んで欲しいと言われた。

”それらしい場所”だ。

世界中。あっちこっち。
パッセージリングがあらかたの対象だとローレライは言っていたが、そんなパッセージリングがあるような場所に一般人がおいそれと入れなかったりするわけだ。しかも崩壊したパッセージリングもあるわけで…そんな場合はどうするのかと聞けば、『それらしい場所に向かってもらう』と一言を返してくる。

偉大なローレライ様は、自由奔放、こっちの都合なんて考えやしねぇ。

通りかかったアラミス湧水洞で一件、その挨拶とやらを済ませることができたのは本当に偶然…いや、奇跡だったんだろう。
ついでに言うと、ローレライの言う『挨拶』は物凄く時間が掛かる。
湧水洞の時は先に戻ってても良いって言われてチーグルの森にまで戻った俺が、その後ローレライから通信で呼び出されるまで一月と半分待った。
今回もおおよそそれぐらいは掛かると言われたから、俺は早々に帰路についている。

これから遺跡を出発してオアシスを経由し、ケセドニアに着くまでに二日。それから馬車に乗ってローテルロー橋を通ってエンゲーブに着くまで四日。そして家へと帰れるのだ。その道のりは最短でも1週間は掛かるだろう。
それだけの時間が掛かるのだ、無事に帰り着くためにも眠らなければならない。
隙間から入ってくる冷気から身を守るためにマントの中で体を丸める。
目はすっかり冴えてしまって、当分眠りにはつけそうも無い。

アッシュは、グランコクマだったよな…

ふと頭に思い浮かぶのは、俺を追ってきたガイから伝えられた事。
自分と同じだった存在は、煌びやかな宮殿でも訪れているのだろうか。
そして自分にしてくれたように、口の端を少しだけ歪ませて笑っているのだろうか。

ぞわりと悪寒が背中を駆け昇る。
大切な仲間が恋しくて、体が震えた。


腹の底からごぼりと浮き出た感情の泡。

その感情が何なのか、理解しないように瞼を固く閉じた。
眠るんだ。
寝不足で苦しんでも、守ってくれる人や庇ってくれる人はいない。


眠って、優しい記憶を食べて俺は生きるんだ。

欲を出すんじゃない。



認めてもらいたいなんて、二度と、叶わないことなんだ。





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2006/08/28
 ローレライさんは挨拶周りをしています。何やら、彼は彼なりに忙しいそうですよ。
 これを書いているとき、「アラミス湧水洞」の『湧』がわからなくてたいそう難儀しました…く、くそっ
 一人だとネガティブな思考になっちゃいますよね。悩む子供はかわいいなぁ(黙れ)