16.ベナースフ
青々と香る草花…もとい、広大な畑と、そこに撒かれた肥やしの香り。
柔らかな風に紛れるのは町の中に点在する木々の木の葉と、ブウサギの鳴き声。
空を茜色に染める夕闇近い時間帯に、ルークたち一行はエンゲーブへと辿り着いていた。
「…俺、今でもここに来ると思うんだよ。」
「なんだガイ。」
アルビオールから降りて町の中に入った瞬間のガイの言葉に、ルークが聞き返す。
そしてガイはいくらか遠い目をしてポツリと零した。
「……食材、買わなきゃって、な。」
「………」
あの旅の2年足らずで培われた経験というのは存外に面白いもので、そして抗えないものだとルークは心の中で同調した。
エンゲーブは食材が安い。
三人が案内された家は、この町の長的な存在であるローズの自宅だった。
お盆に載せられた温かい紅茶が順番にテーブルに並べられ、穏やかに芳しい香りを放つ。
それを並べたローズはルークを前にして満面の笑みを浮かべた。
「ルークさんもお元気そうで何よりです。
到着が聞いていた時間よりも遅かったので、何かあったのかと思いましたよ。」
「―お久しぶりです、ローズさん。」
一瞬間を置いて、薄く笑みを浮かべながらルークは会釈をした。
「元気ばっかりが取り柄だからねぇ。
ああ、そうそう。カーティス少将、お手紙の内容は皆に伝えていますよ。」
伝えられたジェイドは柔らかい笑顔を浮かべる。
「おや、それはそれはありがとうございます。」
「いいんですよそれぐらい。町の中での聞き込みはいつしてくださっても構いませんよ。
それと、よろしければー…チーグルの森へ行かれる時は一声かけていただけませんか。」
「…どうかされたのですか?」
「迷惑でなければ、隣の息子を一人一緒に連れて行ってもらえませんかねぇ。」
想定外なローズの言葉に、ルークたちは一度顔を見合わせる。
「まぁ、無理にとは言いませんから。」
「チーグルの森に何用ですか。」
「隣息子ですか?
いえね、今チーグルの森に住んでいる子が二人ほどいるんですよ。それで今、いっつも家にいる子が出かけてるんで、家を掃除してやろうって話をしているんです。鍵も預かっているから。」
チーグルの森に住む人間?
聞いた覚えのない話にルークが眉間にしわを寄せる。
「驚いた。あのあたりはまだ魔物も多いだろうに…何でそんな場所に住んでいるんだ?」
ガイの問いかけにローズは少し困ったように眉尻を下げた。
「あまり人と接したくないって言っていたねぇ。あの戦争で住む場所と家族を失ったと聞いているよ。
初めはやっぱり心配だったんだけど、そこに住むと言うだけあって腕も立つからさ。何度かこっちの護衛やら警備やらを手伝ってもらったよ。森のチーグルとも仲良くなっていて、薬草とかにも詳しいからホント随分と助けられてる。」
『人と隔絶した生活』
『並ならぬ手腕』
『チーグルとの親密さ』
ガイの視線が泳ぎ、平然と紅茶を飲んでいるジェイドへと向けられる。
ローズが「住んでいる子」というからには、子供なのだろう。
探している対象との条件の一致に、悪寒が走る。
「…外見は?」
「外観、ですか。」
「その男の外見はどうなんだ?」
問いかけるルークを見つめた瞳が見開かれる。
そして見開いていたローズは慌てて片手を振った。
「いえ、あたしが今言っていたのは女の子ですよ。」
「……そ、そうか。」
そんなうまい話は無いものか。と、ルークは内心で納得しながら何とか返答を吐き出す。
ルークににっこりと微笑みながら、ローズは自分の子供のことをを話すように続けた。
「本当にいい子でね。気立てはいいし明るいし、隠れたファンとかもついているぐらいだよ。」
ファン!?
農村で、ファン!
三人の心の声には当然気づかないローズは、上機嫌だ。
「黒い髪に、綺麗な碧の瞳をした可愛い子ですよ。」
三人の動きが止まる。
黒と碧。
それはつい最近、見覚えのある組み合わせの色だ。
「おや、どうしたんですか?」
「め、珍しい毛色だと思ったんだが…その子の名前はなんていうんだ?」
「名前はルゥですよ。
戦争のときに顔に怪我を負ったらしくて、いつも半分は布で隠しているね。
可哀想なことだよまったく。」
名前は、違う。
だが、頭の中に浮かんだその人に相違はない。
そこまで考えて、耳の後ろ辺りからざわざわと沸き立つ感情を覚え、ルークは軽く首を振った。
固執し、追求しようとする意識を無理矢理引きとどめて、自分が集中しなければならないことへと思考を矯正する。
だが夢にも思わない偶然に心が湧きだっているのも事実だった。
「ところで、森には二人住んでいると言っていましたが、もう一人はどのような方ですか?」
カップをソーサーに戻したジェイドの言葉に、ローズは軽く首をかしげた。
「昔、ダアトからの人が建てた小屋に二人で住んでいるんですよ。
私も会ったことはないんですけど、そっちが男の子ですよ。」
男と女の、二人暮し。
かしゃん
小気味よい音を立てて、低い位置にあったルークの手からカップが落ちた。
隣に座っていたガイの目の前で、ルークはまるで岩のように硬直している。
ソレはソレ以外にアレなわけで…。
それを横目に、ジェイドが弾むような相槌を打った。
「ほぉ同棲ですか。」
あからさまな表現にルークがぎしりと軋む。
「あらっ嫌ですね少将、そんな野暮なことを!」
答えたローズは心底嬉しそうで、楽しそうな表情だった。
話しの中から窺える子供に対する気遣いに、ローズがよほど彼女を気に入っているということがわかる。
「一度食材を届けにいった町の者が見たらしいんですが、聞いた話ではなかなか背も高くていい男らしいですよ。
ルゥちゃんから話を聞いている限りでも二人の仲は良いみたいだし、それに信頼しあっているんだろうねぇ。いつだったかあの子が一人で出かける時も、『離れても自分を見つけてくれる。』っていうんだよ。よっぽどじゃないとそんなこと言えないさ。」
「おやおや、若いとはいいですね〜」
朗らかに、ローズとは絶対に違う喜色を浮かべジェイドが笑う。
その傍らでルークの石化に拍車がかかっているのは、誰の気のせいでもない。
ガイが、哀愁のこもった視線をルークへと投げかけるが、それは彼の周囲に漂う凍った空気を虚しく素通りした。
ジェイドだけが楽しそうにローズとの会話を続ける。
「森の中で二人きりの生活とはさぞ不便でしょうに、どうやって生計を立てているんです?」
「あたしが知っている限りではルゥちゃんは魔物を倒したり、護衛や警備をしたりして稼いでる風でしたよ。食材とかはあの子のファンたちが分けたりしているから、何とかなっているみたいだけどねぇ。
男の子の方がよく家を空けているみたいですから、もしかしたら彼氏が稼いでいるかもしれません。」
ファン、隠れてないし。
そんなことよりも頼むローズさん。これ以上は勘弁してやってくれ。
などというガイの心の叫びが通じるはずもなく、放たれた数々の言葉の弾丸によってルークの顔色がどんどん悪くなっていく。
それに相反して、ジェイドの表情は明るくなる。
あくまで双方…仲間の目から見て、だが。
「それはまた、健気な話ですね。その彼の名前はご存知ですか?」
「え?ああ、知っているよ。たしか……」
笑顔で返そうとしたローズの表情が凍る。
口元に手を当ててしばし考え込むが、しばらく沈黙が続く。
そして申し訳なさそうに、ローズの眉はひそめられた。
「おかしいねぇ…ついこの間に聞いたはずなんですがね。
申し訳ありません。ちょっと思い出せません。」
「いえいえ、構いませんよ。」
柔らかい笑顔を浮かべたまま、ジェイドは窓の外の空を窺う。
茜が薄れた群青色の空は、美しい星が煌めいていた。
「さて、そろそろ夜もふけてきましたし。とっとと明日の予定を組んで休むとしましょうか。よろしいですね皆さん。」
…誰が「NO」と言えるものか。
next→
2006/09/08
ローレライとの二人暮しは思わぬ効果を成しました。
そして結構ルーク狙いの不届き者への抑止力にもなっているようです☆ やったねラッキー♪
エンゲーブのことを打つ時、「村」とするべきか「町」にするべきかいつも悩みます。
…その二つの定義って、人口だったかな…ふぉぉぉっ不確定!