20.ベナースフ
早い時間にもかかわらずそこには所狭しと、彼らの生活の糧が並べられていた。
甘い香りを放つ色鮮やかな果物、今収穫されたばかりと言わんばかりに、青々と露に濡れた野菜、昨日にでもツブされて切り分けられた新鮮な肉類。
本格的な戦いの時間はまだなのだろうが、それでも今集まっている人間の数は多い。
ざっと見た限り、聞き及んでいたマント姿の人間を見つけることができなかったので、ジェイドは手近にいた果物を売っている男に近づいた。
男はジェイドを知っているのか、被っていた帽子を軽く浮かせて会釈をし、そして商売人の顔に戻る。
「おや!朝早くから珍しいですね軍人さん!今日は何をお求めで?」
「人を探しています。」
ジェイドの声音に数拍ほど目を瞬かせて、男は薄い笑みを浮かべた。
そして据えていた腰を上げて、ジェイドの声を聞き取りやすいように身体を乗り出す。
「人は売っちゃいませんが、どんな人をお探しで?
もしやなんぞのホシじゃあるますまい。」
「そんなんじゃないですよ。
『ルゥ』という名の少女で分かりますか?」
男の目が見開かれた。
「は、わっはっはっはっは!」
そしてすぐに男は爆笑しながら自分の足を叩く。
「はっ失礼!てっきり大層な人を探しているかと思いましたよ。
あの子ならついさっきここを通り過ぎて、あっちにある一店だけの魚屋に行きました。
見えますか?俺の身長じゃぁちょっと足りねぇが、アンタなら見えるだろ。」
指された方へ視線を向ければ、流れる人垣の向こうに青い魚の看板が見えた。
「サイズの大きいマントを着ていたんですよね?」
「ああ、それがあの子の普段の格好だ。見りゃすぐに分かる。」
今はとてもマントを着込むような気候ではない。
ジェイドがリンゴを手にとって、値段よりも多めのガルドを男へ渡す。
男は自分の前に置いていた籠の中にガルドを放り込んで、再び腰を地面へ下ろした。
「あの子を捕まえたいのなら急いだほうがいいですよ。
今のこの状態でも、人込みに悪態をついてましたからねぇ。
買う物買ったらとっとと姿をくらませますぜ。」
「随分せっかちですね。」
短く息を吐いてジェイドは呟く。
あの馬車からも走り去ったようだったのだ。
中々、元気が有り余っているようで。
「ついでに変な男が後を追いかけて行ったんだ。
あの子がちょっかいかけられているようだったら、助けてやってください。」
「…まぁ、善処しましょう。」
やや潜められた言葉に迷わず好都合だと決め付けて、ジェイドは言われた店へと向かう。
「毎度ありー!」
賑やかな男の声がその背中を叩いた。
ごすっ
鈍い効果音を残し。
ガシャーン
立つという均衡を失った身体は、勢い良く近くの商品棚(魚介類)に倒れこんだ。
きゃあぁぁぁ!
ひええぇぇぇっ
てめぇ 何する馬鹿野郎!
重なる悲鳴に、響く罵声。
それをきっかけに辺りは一気に騒然となる。
目の前で起きた騒動に、ジェイドは進める足を止めた。
騒ぎは、魚の露天の目の前で起こっていた。
魚屋の商品棚に体を落とし込んでいるのは年配の男で、その前に砂色の丈夫そうなマントを着た小柄な人間と、傭兵風の装いをした男が睨み合い、そして言い合っている。
自分の周りにいる人間の喧騒のおかげで、その言い争っている内容はジェイドには聞き取れない。
小柄な人間は、体をすっぽりと覆う特徴的なマントに、黒い髪。そして顔の半分を覆っている布をつけている。
離れているせいで瞳の色までは目視できないが、彼女がこの町で言う『ルゥ』に間違いはないのだろう。
そして、ルークとガイが会った『ユリア』だろう。
言い争いは白熱しているのか、ルゥという少女が苛立たしげに地面を足で踏みにじった。
そして男へ踏み込みながらありったけの声で叫ぶ。
「―ッおっちゃんに謝れ馬鹿が!!」
ベッチーン!
男が言い返す間もなく、ルゥが振るった腕の先の物体が男の顔に叩きつけられた。
勢いに負けて男の体が傾ぐ。
反撃に備えて、男から距離をとっている彼女の手に握られているそれは、勢いをなくしてだらりと垂れ下がる。
日の光と乾燥のお陰で黒々と濁り、やけにぬめった表面のそれ。
なんと、ここでは売っていないはずの『コンブ』だ。
「―の、クソ餓鬼が!!」
まさかコンブで叩かれるとは思うまい。
あたりで起こる嘲笑を男は鋭く睥睨して黙らせ、背中に背負っていた剣を抜き放つ。
ここは、エンゲーブの街中だ。
街中で抜刀を許されているのは、一部の軍属を含めた限られた人間のみである。
感情に流されている男に呆れた表情を隠さず、湧き起こる悲鳴の渦中で、ジェイドは口の中で小さく詠唱を始める。
こういった緊急事態でのみ許される譜術の種類を頭の内に並べながら、いつでも発動できる状態を保つ。
男の抜き放たれた剣を見てコンブを投げ捨てると、ルゥはマントの内側に両手を引っ込めた。
そしてそのまま男へと身構える。
男に対して臨戦態勢をとりながらも、剣を抜く様子を見せないルゥ。
そんな彼女を見て、ジェイドは譜術の発動を思いとどまった。
何のことはない、純粋な興味だ。
「クソが!!」
怯む装いを見せない少女に焦れたのか、男は剣を構え直してそれをすぐに薙いだ。
浅い踏み込みの時点で、放たれたその一撃は威嚇だと見抜いていたルゥは、自身に掠りもしない刀身に目もくれず、男を見据えたまま一歩も動かない。
「…ほぅ。」
それを見極めた少女の技量に、ジェイドは唱えていた譜術を打ち消して感嘆の声を漏らす。
この時点ではっきりする。
男との実力の差は明らかだ。
少女は重力に任せて浅く腰を落とすと、伸び上がりざまにマントを翻した。
マントの裾から放たれた無数の飛礫は、全て男の顔に向かっている。
「くっ!」
ルゥの武器は剣だと知っている男は、思いもよらない攻撃に、それでも自分の剣を引き戻して防御の型を取る。
ぺちぺちぺちぺち
ぽとぽと ぽと ぽと
刀身と男の顔に当たって地面に落ちたのは、イチゴ。
そして傍観していた人垣から、無数の噴出した音が生まれる。
まぁ真剣に驚いた顔をした男の顔に当たったのがイチゴなのだ。
地面に落ちたイチゴを凝視して、男は怒りに顔を真っ赤に染める。
それはもう、イチゴも恥じるぐらいに真っ赤に。
「馬鹿にしやが―」
ゴヂンッ
ルゥへと戻された顔に、彼女が新たに投げたパイナップルが埋まった。
反動にやや背中を反らせた男から吹き出した血は、見事な円弧を描き空気中に散った。
ぼてんっ
重いものが地面に落ちる音が、静まり返った空気の中に転がり落ちる。
乱暴に扱われたそれは、可哀想にもう長くは持たないだろう。
だが、その果物を思いやる以上に、無数の人々の哀れみと困惑の視線がそれの直撃を受けた男に向けられる。
なかなかのクリティカルヒットだったようで、鼻と眉間から流れる血は男の顎を伝って服と地面を汚していた。
「殺す!!」
怒りを超えた殺気を宿した男の瞳は、マントを翻し、男へ背中を向けて走り去る少女を写した。
一瞬状況の理解ができていない男を尻目に、少女は小さな柵をひょーいと飛び越していく。
逃走?
「―待ちやがれ!!」
当然男は剣を握り締めたまま少女を追いかけいった。
後に残された人々は戸惑っていたようだったが、やがて各々の目的に動き始める。
所々では少女を心配する声も上がっていた。
それでも彼女達を追いかけて行かないのは、彼らなりに少女の意図する事が分かっているのだろう。
ジェイドの記憶では、少女の駆けて行った方向は町の外れに出るはずだ。
きっと、そこで剣を抜くつもりなのだろう。
「失礼。」
ばらばらとほぐれている人垣を割って、彼女たちが走っていったとは違う方向へジェイドは歩き出す。
向かう先は同じだ。
ただ、人に邪魔をされない道を行くだけ。
薄い笑みをたたえた表情はそのまま。
面白いことになりました。と、小さく口の中で呟いて。
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2006/10/03
あれ、アビスに果物のパイナップルって出てましたっけ?
TOPでは出ているんですけど、どうだったかな…(確認しろよ)
もし無かった場合はメロンに変換します。高い攻撃だ。
ルークは店の人と仲良くなったから、裏メニューのコンブが買えるようになっているといういらない裏設定があります。
特別扱い万歳!
やーしかし、こういった人を馬鹿にしたやり取りを書くのって物凄く楽しい…
そして二人の出会いは引き摺り延ばします。次で会えるかなー。
…ルークが逃げなきゃいいけど。(笑)