34.ベナースフ




廊下や部屋などに倒れ伏す人々を避けながら、アッシュ達はアルビオールへと向かう。
頭痛と共に自分の頭の中に響いた歌と、問題の声。
歌は、寝ているはずのティアのものだった。
彼女が自国内で第一譜歌を発動せざるを得ないという状況に、ただならぬ不穏の色が見えるのだが、それを追求できるような状況ではなくなってしまった。
唯一情報を引きずり出せる相手からは先手を打たれ、口八丁が十八番のジェイドははあえてそれを受け入れたのだ。

込み上げる苛立ちは尽きない。

譜歌の発動もそうだ。
ユリアの血筋の者しか発動することのできないユリアの譜歌が、何故、詠唱もしていないアッシュを介して発動したのか。(聞こえた第一譜歌が関係しているとしか思えないが)
しかも第七音素の減少が著しいこの世界では、広範囲に及ぶ譜術の発動は難しい。
頭痛を覚えたあの場所から鑑みるに、この範囲はどう考えても人一人の意志力では成し得ない。


今更、あの音素集合体が何の用があるというのだ。


分からない事だらけで頭が痛くなってくる。
どういった意図があったかをジェイドに問いただすのは、アルビオールに戻ってからだろう。そして、無事にここを出てからは、すぐにシェリダンの技術者達に音譜帯の計測をさせなければない。

アッシュが苛々と胸の内を焦がす感情を隠すこともせずに踵を床にぶつけていると、ようやくアルビオールを停めてある格納庫の入り口が見えた。
ついでに、入り口の番をしていたユリアシティの男が目を瞠ったのも見えた。
ここまでは譜歌の影響は及ばなかったようだ。

「いかがなさいましたか?」
「後ほど詳しい報告を聞かされるとは思いますが緊急事態です。
 我々は急遽、街を出ることになりました。そこを開けてください。」

堂々としたジェイドの言葉に心当たりがあったのか、男は軽く眉を顰める。

「もしや…先程の音ですか?」
「はい。」
「わかりました、どうぞお通り下さい。」

すぐに扉を譲った男に軽い労いの言葉をかけながら、アッシュ達はそこへと踏み込んだ。

「―みなさん!どうされましたか?」

アッシュたちの姿に気付いたノエルがスパナを片手に声を上げる。

「街の動力部で異変が起きたらしいんだ。閉じ込められないよう出発が早まったんだが、整備の途中だったか?」
「はい。10分もあれば終わらせられますが、出港にはそれからもう10分ほどかかります。」

ノエルの説明にジェイドは小さく頷いた。

「十分です。では出発は20分後ということにしましょう。
 ルゥを待つ必要もありますからね。」
「わかった。ならノエル、俺も手伝おう。」
「ありがとうございます。」

床に置かれていた工具箱を拾い、ガイはノエルと共にアルビオールの機関部へと向かった。
それを見届け、前を歩いていたジェイドが肩を逸らしてアッシュを見下ろす。

「さてルーク、先程のことですが。」
「…」
「説明できますか?」
「歌と、声だ。」

アッシュの逆上する様子から予測がついていたとは言え、信じられない言葉にジェイドは目を細める。

「ティアの歌う第一譜歌の後に、頭痛と、ローレライの声が聞こえた。」

ローレライはありえない話ではない。なんて言ったって彼らは同位体だ。
だが、その前に聞こえたという『ティアの歌声』というのは解せない。

「貴方が、昔から『ルーク』に回線を繋げるときにも頭痛は起きていましたか?」
「…お前がそれを聞くか?」
「痛かったはずがないですよねー。」

ルークがいつも受けていた頭痛は、強引に開かれた同調フォンスロットに起因する。それもこれも、フォンスロットを操るルークの技術が低かったために行われたものであったが。

「ところが今回、ローレライの声が届く直前に貴方は痛がった。
 ローレライはなんと言っていたんです?」
「第一譜歌の延長だ。『深淵へ誘う旋律』。
 その直後、譜歌が発動した。」

いつぞや母のために攻略したあのダンジョンで聞いた、ティアの譜歌だ。

「…ティアの譜歌の発動の為に、同位体である貴方にまでローレライから何かしらの働きがあった…?」
「音譜帯にいる奴から干渉を受けたことは今までにない。
 今まで何度か試してみた限り、一度も繋がらなかった。」
「おや、試したんですか。」

幾らか楽しそうな気色を帯びたジェイドの声に、アッシュは己の失言を悟った。

「そうですか、誰にも言わずたった一人で頑張っていたんですね〜
 それは知りませんでした。」
「…」

堂々と楽しそうなジェイドを前に、アッシュは苦虫を噛み潰したような苦渋の表情でそっぽを向く。
彼にしたって、このネタで遊んでいる暇はない。

「今まで繋がらなかったローレライと、いきなり一方通行で接触できたわけですか…。
 今は繋がるかどうか試せますか?」
「…やってみよう。」

言って、アッシュは両の瞼を下ろす。
全身のフォンスロットを操りつつ、漠然とした感覚のまま思考の方向を定める。
これはもう、久しくやっていない行為だ。


…第七音素の流れ。

行く筋にもわたるそれを辿る。


 ―チリッ

 ブヅッ


対話を求めたその道は、音をたてて焼ききれた。

「…繋がりは、しない。」
「そうですか。」

期待はしていなかったのだろう。
ジェイドは感情の見当たらない返事を返す。

「ローレライが関わっていることは間違いないでしょう。」
「ああ、ここを出次第にシェリダンの奴らに、音譜帯の様子を観測させるつもりだ。」
「ベルケンドの研究員も参加させましょう。それぐらいしなくては、大型の機器に不具合が生じている今ではろくに観測もできない―」


 バグンッ


鈍い、空気の吐き出される音に、ジェイドとアッシュは二人同時にその首を向けた。その音の発生源は壁だ。何の変哲もない街の壁が、突如入り口となって開いている。
そこから飛び出してきた砂色のマントに、アッシュはぎょっと目を見開いた。
フードをしっかりと被っているその人も、二人の姿に動きを停止させる。

「…ル、−クに、少将!」

ただ、発せられた声はマントの持ち主のものではなかった。
フードを外しながら、その人は急いでいるように二人の元へと歩み寄る。

「ティア。」
「お久しぶりです。本当に、こちらにいらしたんですね。」

長い髪を揺らしたその人は、ジェイドが呼んだ『ティア』その人だった。







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 ルーク出すつもりでアッシュって書いてたのに…
 つ、次!次でユリアシティを脱出します!!