6.ベナースフ side:L




「はっ、部下の一人が一般人と接触し、相手に怪我を負わせてしまったので手当てをしておりました。  お足をお止めして申し訳ありません。」

さっきまでの親しみやすそうな砕けたしゃべり方じゃなくなってるおっさん。
聞き覚えのあった声に止まった思考が、ようやく動き始める。けれど、なにか良い打開策が浮かんでくるわけじゃなかった。ぐるぐると思考が堂々巡りをしている間に、砂を踏みしめる硬い音が背中に近づいてくる。

「怪我だと?」
「右頬にぶつかったので、痕が残らぬようにと…」

背中側にいる人物がまた声を発する。
やや低めになっているけど、聞き間違いなんかじゃない。
この声の主を俺は知っている。

「ひどいのか?」
「いえ、まだ確認の途中です。」

すぐ後ろから目の前のおっさんと交わす声がする。
その声が、自分を心配してくれていると思った瞬間に、頭の中がカーって熱くなって呼吸が止まった。

そしてそいつの視線が自分の頭頂部に突き刺さる。

いやだ。見るな。
頼む。どこかへ行ってくれ。

「…ルーク様?」

おっさんが、俺の背中にいる奴へへと声を発した。


判っていたけど、分かりたくなかった。
『ルーク』と呼ばれる存在を。
ローレライは言った。あいつは元気に暮らしてるって。
ソレを知れただけでも俺はうれしかったんだ。
会いたいわけじゃなかった!俺が女の体に変わってしまったから!
存在を知ってほしいなんて微塵にも思わなかった!


「だ、大丈夫ですから!!」

叫んで、折っていた体をまっすぐ伸ばす。
声が震えて少し裏返っていたけど、そんなこと気にしている余裕はない。
感情がぐるぐると渦巻いて胸が詰まる。半年かけてようやく得た平穏が音を立てて崩れていく。

いや、崩れさせてなるものか。

「コレくらい、すぐ治ります!」

心配してくれたおっさんに軽く頭を下げ、飛び出してきた裏路地へと再び飛び込む。
背後の気配が困惑しているのを肌で感じながら脇目も振らずに加速する。
ああ、なんて怪しい行動だ!

『ユリア、駄目だ。』

昂ぶっていた感情のせいで、ローレライの警告をうまく聞き取れなかった。
半拍遅れてその意味を理解したとき、自分へと振り下ろされる光沢が視界に写った。

「―ッ!」

光沢を発するのは刀身で、その刀身を握るのは先ほど壁に吹っ飛ばした男で。
ソレが報復で、もう自分は間に合わない、と理解したその瞬間。

「ぐえっ!」

マントが物凄い力で引っ張られて上半身が仰向けに傾く。
消えた視界の向こうで剣を振り下ろしていた男が舌打ちをした音が聞こえた。
新たに開かれた視界には見覚えのある、一番見たくなかった人物がいて、その瞳が自分の視線とぶつかった。

まっすぐな赤い髪。強い意志の炎が見て取れる碧の瞳。


アッシュ


「退け!」
「ぇ、どぉあっ!」

マントを引き上げるように引っ張られて危うかったバランスがとうとう崩される。
行き着く先は地面か壁かと覚悟をすると、思った方向に体は傾かず、ぐいっと背中を引き寄せられて柔らかい何かに顔をぶつけた。
鼻痛い!鼻!!

「街中での闘争行為は禁止している。」

頭上から声が落ちる。
ぎょっとして目を見張ると、目の前には流れるような赤い色彩があった。
自分のものとは違う、はっきりとした濃い赤。
腰の辺りがぎゅっと何かに締め付けられたかと思ったら、がくりと視界が揺れた。
締め付けていたのは人の腕だと遅れて理解する。
そして、顔をぶつけたのは人の肩だと気付く。

俺は、コレは、抱きしめられている!?

ガキィンッ

全身が緊張で硬直している間に、背中側で金属がぶつかり合う音がした。
そしてすぐに壁に金属がぶつかる嫌な音が響く。
きっと斬りかかってきた男を返り討ちにでもしたのだろう。
俺ががくがくと揺さぶられているのは男との応酬のためだったのか。
ふはははそうかーそりゃ揺れるよなー

「大人しくしろ。」

剣を握りなおしたときの小さな金属音がして、ひっと息を呑む声が聞こえる。
男に剣を突きつけたのだろう。いかんせん、背中側の状況なので完全に把握ができない。
緊迫して一息に収束した場面だ。街のチンピラと立ち回る精悍な顔をした剣士。どこぞのヒロイックサーガの冒頭のような場面だ。

なぁ、だからもう俺を降ろそうよ。降ろしてくれよ!!

硬直も解けないままちょっと意識を向けると、腰は相も変わらずがっしりと抱かれていることが伺えた。背骨にあたるローレライの剣が地味に痛い。
ちょっとやそっとじゃ外れないぞコレ。

「ルーク様!単独で行動されないでください!」

ガチャガチャと鎧の音をたてながら走ってくるキムラスカ兵を、呼ばれた『ルーク』は一瞥する。 ようやく開放されるかと思いきや、こいつは俺を抱き上げたままだ。

「こいつを警備隊に突き出しておけ。」

もしや俺かと一瞬びびるが、短く返事をした兵たちは細い路地をなんとか俺たちにぶつからないように通り過ぎて、後ろの男に掴みかかる。俺に声をかけたのが運の尽きだったな。ざまーみろ。
アッシュはそのまま体の向きを出口へ向けて歩き出す。

……俺はまだ抱き上げられたままだぞ。
コイツ俺の存在を忘れているんじゃないだろうな?

「…なぁ。」
「ッ!!」

不安になって声を出すと驚愕した表情で見下ろされる。

「お―わっ!」

降ろしてくれと言おうとした瞬間に、弾くようにいきなり腕を放された。
突然のことにうっかりバランスを崩して地面に座り込んでしまう。

「わ、悪い。」

!?
俺、今アッシュ―いや、今はルークか―に謝られた!?うわっ気持ち悪!
何歩か離れたアッシュを見上げると、抜き身の剣を片手にやけに不思議そうな顔をして自分の掌を見つめていた。
?何やってんだこいつ?

「別にいいんだけど…えーと…」

服のほこりを払いながら立ち上がる。
建物の間に挟まれてやや薄暗いのだから、顔を見合わせるぐらいはいいだろう。自分の顔は半分隠れているんだから。
悔しいが、いくらか遠い目線へ視線を重ねる。

「助けてくれてありがとう。マジ危なかったから。」
「……たいしたことではない………」

お、照れてんのかこいつ。
こうやって礼を返してくれる風になるなんて…こいつも変わったなぁ

「じゃ、ちょっと先を急ぐんでコレで失礼します。」

本当にありがとう、と言って小さく会釈し、その隣を通り過ぎて大通りへ向かう。
正面にはちらほらとキムラスカ兵が佇んでいるが、ばれるような事もないだろうから気にせず通り過ぎよう。
今日中に準備を終わらせて、今取っている宿からあいつが近寄りもしなさそうな安宿に荷物を移して一泊して、明日の朝一番にこの街を出よう。危なっかしくておちおちしてられねぇ。

急く気持ちを押さえ込んで黙々と足を進める。
大通りに出ようかって瞬間に、首に重圧がかかった。

「―ぐぇッ!」

この衝撃は本日二度目。
マントを掴むな!口で声かけろよ!

「何、しやがる!?」

振り返りながらマントの大元を掴み、握られているマントの端を引っ張り返す。
誰かと思えば、アッシュがそれを握っている主だった。 勢いで外れると思っていたソレは、想像以上の力で握られていてビクともしなかった。

「何度もマントを引っ張るな!首がもげたらどうすんだ!?
 引き止めるなら引き止めるで声をかけりゃいいだろ!
 ――おい!!」
「……何だ。」
「聞いてんのか!?」
「………」

俺がぎゃんぎゃん噛み付いているのに、アッシュは俺を見つめたまま押し黙っている。
もしかして、同じ顔をしているってばれているのか?

「用があるならはっきりしろ!」

直で突き刺さる視線から逃れたくて、マントを引っ張りながら再び叫ぶ。

その言葉を聞いて、アッシュの瞳に燻っていた躊躇いが消えた。
マントから手が離れ、その代わりに自分へアッシュが近づく。
読めない表情のまま見下ろされ思わず俺は言葉に詰まった。

「……ぃ…」
「は?」

小さく開かれた口からこぼれた音は、よく聞き取れなかった。
覗き込むようにアッシュの下から顔を向けると僅かに顔が逸らされる。

「……………」

その目はふらふらすいすいと泳いでいた。
…ばれたみたいじゃないけど、何の用があるっていうんだ?

「少し…」

絞り出すような声。
今度はちゃんと聞こえるような大きさだ。
泳いでいた目がようやく自分の瞳に照準を合わせる。

「少し、話せないか…?」


かろうじて拾うことができる声量で、アッシュは言った。





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2006/08/01
  ようやく会えました。 で、アッシュはいきなり難破。
 アッシュをかっこ悪く書きたいのだろうか…いや、ヘタレは楽しいですよね?
 ここはちょっと長引きますよ〜